壮絶舞台裏…イチローが引退を決断した日
試合が終わって、チームメイトを迎えるためフィールドに姿を見せたイチローだったが、チームメイトらとタッチを交わした後、何もなかったかのようにダグアウト裏へ引き上げた。 そのときすでに、クラブハウスへつながる扉の前には、日米のメディアが鈴なり。ほとんど間を置かずしてマリナーズの広報が現れ、「イチローが会見する。こっちへ」と米メディアをクラブハウス裏のブルペンへ招き入れた。 少しして、試合後の会見を終えたアスレチックスのボブ・メルビン監督が現れる。関係者がブルペンの扉を開けたそのとき、一瞬だけ中の様子が見えた。記者らの輪の外には、チームメイトが集まっていた。 10分、いや15分後。会見が終わって、固く閉じられていた扉が開く。 日本人メディア向けの会見は、東京ドームホテルで予定されていたので、そちらに向かおうとフィールドに背を向けた瞬間、背後から、地鳴りのような歓声が聞こえてきた。 「出てきた! 出てきた!」 飛び交う声をかき分け、グラウンドへ走る。イチローがちょうど、三塁側のダグアウトの前でファンのカーテンコールに応え、三塁側からレフトへと、ゆっくりと場内を一周し始めたところだった。 試合が終わっても、ファンはその場を去ろうとしなかった。球場の係員もそれを促すことはなかった。 「イチロー! イチロー! イチロー!」 多くは声が枯れるまで、名前を呼び続けた。それは、イチローの耳にも届いていた。 51番の背中を追うようにして、エドウィン・エンカーナシオン、ライオン・ヒーリー、ディー・ゴードンらもフィールドに出てきた。多くがスマートフォンを掲げ、撮影をしている。 ゴードンとすれ違う。 「やばい、これは、やばい!」 試合中は涙を流したゴードンだが、目の前の光景に興奮し、それ以上の言葉をつげなかった。
「3月10日のインディアンス戦で2三振した後に」
イチローがセンターまで歩みを進めた頃、ふと横を見ると、ジェリー・ディポトGMがその光景を見守っていた。 「試合前に言っただろう? 今夜は、素晴らしい夜になるって」 試合後にイチローが何らかの発表をするのではないか。そんな情報を元に話を聞くと、確かにそう言った。しかしそれは、いかようにも受け取れた。日本ではおそらく最後──。盛り上がらないはずがないのである。 いつ、この流れが決まったのか? そう聞くとディポトGMは、「10日ほど前だ」と口にした。 えっ? 思い当たる節があった。イチローが、あの2階へ行った日のことか? 「そうだ。私とイチローと通訳の3人だけで話をした」 そうか、やはりあの日だったのか・・・。 それは、3月10日のことである。 イチローはあの日、アリゾナ州ピオリアで行われたインディアンスとのオープン戦に「8番・左翼」でスタメン出場したが、2打席とも三振に終わり、六回の守備から退いた。 試合途中でクラブハウスへ引き上げたイチローはいつもなら、シャワーを浴びてから、足早にキャンプ施設を後にする。オープン戦のルーティンでもある。ただあのとき、クラブハウスの前にいると、イチローがTシャツ、短パン姿で、通訳を伴って出てきた。 その背中を目で追ったが、どこへ行ったかまでは分からない。15分ほどして、「今、2階から降りてきた」と聞いた。 2階? 耳を疑った。イチローがかつて、そこへ足を踏み入れたことがあっただろうか。 ピオリアにあるマリナーズのキャンプ施設は2階建て。1階にクラブハウス、トレーニングジム、トレーナールーム、ダイニングなどがあり、2階にはゼネラルマネージャーらの部屋がある。 ピオリアで、「2階」といえば、フロントオフィスのメンバーの俗語でもあるが、その2階から、イチローが降りてきたという。 やはり、そういうことだったのだ。 ファンに別れを告げ、イチローが東京ドームホテルの会見場へ向かった。 3月21日午後11時55分、イチローが壇上に姿を見せる。まさに日が変わる直前、引退を表明したが、決断したタイミングを聞かれ、こう切り出した。 「タイミングはキャンプ終盤ですね。日本に戻ってくる何日前ですかね。何日前とははっきりとお伝えできないですけど、終盤に入った時です」 マリナーズがピオリアを出発したのが3月14日。すべてが一致した。 もっとも、決して既定路線ではなかったという。 「もともと日本でプレーする、東京ドームでプレーするところまでが契約上の予定」とイチローは明かしたが、続けて言っている。 「キャンプ終盤でも結果を出せずに、それを覆すことができなかった」 日本での開幕2連戦までは保証されている。その後は、キャンプ次第。つまりは、結果を出せるかどうか。オープン戦初戦ではタイムリーを放ち、2戦目には果敢に盗塁も決めた。しかし、3月1日のブルワーズ戦でヒットを打ったのを最後に、安打が途絶える。3月10日の2三振で、20打数2安打、7三振。その日、打率が1割を切った。 もはやここまで。 そこでイチローは、バットを置く決断を下した。 (文責・丹羽政善/米国在住スポーツライター)