すしやピザはどのようにして生まれたのか? 食べ物の意外な起源 チュロスやベーグルは?
すしの起源は日本ではない
日本の文献に最初にすしが登場したのは8世紀のことだ。しかし、日本の食の専門家で『Oishii: The History of Sushi(美味しい!寿司の歴史)』の著者であるエリック・ラス氏によれば、実は、すしは6世紀の中国で生まれたという。 この料理を表す中国の単語は「酸っぱいもの」を意味し、日本人はその単語を「スシ」と発音した。かなり鼻にツンとくる料理だったようだ。新鮮な魚を使う現在のすしとは違い、魚の保存食が使われていた。東南アジアで使われる手法だ。 中国の料理人、そして後世の日本の料理人は、保存食の魚を米で包んで発酵させた。1年ほどかけて発酵させたものは、強烈な風味を持った。 14世紀以降、日本の料理人は、もっと手早く作れるように料理のレシピを少しずつ進化させていった。米酢を使うことで酸味を和らげ、やがて、すばやくできあがる現在のすしの形に行きついた。 長い時間をかけて、すしはまざまな文化の影響も受けてきた。サーモンを使ったすしはおそらくノルウェーから伝わったものだろう、とラス氏は推測する。 「すしは常に進化しています」とラス氏。「すしが生まれる過程には多くの人がかかわってきましたし、これからも進化していくでしょう。それでいいんです。グローバルな料理になっていくわけですから、それは素晴らしいことです」
「チキン・ティッカ・マサラ」論争
一部の人にとって、食べ物はアイデンティティと深く結びついていて、その文化は誰のものか、という論争が起きることがよくある。チキン・ティッカ・マサラを例にとってみよう。食材はインドだが、英国スコットランドで香辛料の量や鶏肉の食感といった工夫で手を加えられていった料理は、インド料理だろうか、それともイギリス料理だろうか。 スコットランド在住のインド系パキスタン人シェフ、アリ・アハメド・アスラム氏は「トマト缶と生クリームとチキン・ティッカを使ったこの料理は、1970年代に自分が考案した」と主張した。以来、この料理は「英国の国民食」と呼ばれてきた。 だが、インドのビルラ工科大学ピラニ校ハイデラバードキャンパスの言語学者で、「Evolution of Indian Cuisine(インド料理の進化)」に関する研究を監修したサントシュ・マハパトラ氏によれば、「生クリームの使用、ヨーグルトの使用、マサラの使用、各種香辛料、ティッカ。これらはすべて、英国植民地時代以前のインドのさまざまな地域で見られたものです」という。 アスラム氏はそうした材料を新しい方法で組み合わせたのだとも言えるが、チキン・バター・マサラという似た料理がインドにはすでに存在していた。インドの郷土料理に詳しいプリタ・セン氏によれば、チキン・バター・マサラは1947年ごろのインドで生まれた料理だが、ティッカと呼ばれる塊肉ではなく、細かく刻んだ鶏肉を使用していた。 今日、どちらの料理もティッカを使っている。「つまり、同じ料理になっています」とセン氏は言う。「チキン・バター・マサラと呼ぶ人もいれば、チキン・ティッカ・マサラと呼ぶ人もいるというだけのことです」 だが、その1語の違いがあるがゆえ、「チキン・ティッカ・マサラはイギリス料理だ」とセン氏は指摘する。一方、マハパトラ氏は、「どちらの料理名もインドの言葉を使っているのだから、インドとの結びつきは今後も消えない」と主張する。 「おそらくどちらの意見も正しいのでしょう」とマハパトラ氏は言う。「チキン・ティッカ・マサラに関しては、アイデンティティの共有だと私は思います。人はいくつものアイデンティティを共有しています。食べ物もそのひとつです」
文=Danielle Hallock/訳=夏村貴子