アジャコングが東京女子に感じる全女のノスタルジーと闘い続ける理由 理想は「生涯現役」のジャイアント馬場
――アジャ選手にとって、プロレスとはどういうものですか? アジャ:私にとってプロレスは天職であり、人生そのものであり、なくてはならないものなんですけど、人によっては「なくてもいいもの」だったりする。大多数の人はプロレスがなくても生きていけますが、「プロレスがあったらちょっとだけ人生が楽しくなるかもしれないよ」と伝えたい。悩みがあるんだったら試合中に力の限り声を出してみたりとか、自分が推している選手がやられているのを見たら、憎たらしいと思う選手に罵詈雑言を浴びせてみるのもいい。 人間、声を出せばさまざまなことが発散できるので、プロレスを観てそういうことができれば、ちょっとだけ人生が豊かになるというか、楽になるかもしれない。息抜き程度に考えるのもいいもんじゃないかと思います。 ――プロレスがないと生きていけないファンもいます。 アジャ:その人たちは逆に、たまにプロレスから離れて息抜きしたほうがいいよ(笑)。私もプオタ(プロレスオタク)で、ずっと観てたけど、最近は観すぎて肩が凝ってきちゃったから。少し離れると、また面白く観られると思いますよ。 ――私は「強さとは何か?」をテーマに取材を続けているのですが、アジャ選手にとって強さとはなんですか? アジャ:私にとっての一番の強さは、母親の愛です。あの強さに勝てるものはない。父、母がいて初めて自分が生まれたんですけど、特に命を賭けて自分を世に送り出してくれた母の愛はやっぱりすげーな、と思いますね。 ――プロレスにおいての強さはいかがでしょうか? アジャ:いかに痩せ我慢できるかですね。プロレスは、痩せ我慢の競技だと私は思っているんです。「八百長じゃん」とか「痛くないんでしょ」とか言う人もいますけど、痛いのよ。蹴られたりしたら、痛いの。人間だから。「長与千種 還暦祭」で闘った新人(彩芽蒼空)にだって、蹴られたら痛いです。 でも「まだまだ来い!」と我慢するのがプロレス。どんだけそれができるかが、プロレスラーの強さの象徴だと思いますね。ただの我慢じゃなく、痩せ我慢。昔の不良が「全然効かねーよ」って言ってたような我慢が、どれだけできるかですね。 【プロフィール】 ●アジャコング 1970年9月25日、東京都立川市生まれ。長与千種に憧れ、中学卒業後、全日本女子プロレスに入門。1986年9月17日、秋田県男鹿市体育館の対豊田記代戦でデビュー。ダンプ松本率いる「極悪同盟」を経て、ブル中野率いる「獄門党」に加入。1992年11月26日、川崎市体育館でブル中野に勝利し、WWWA世界シングル王座を奪取。1997年、全女を退団し、小川宏(元全女企画広報部長)と新団体『アルシオン』を設立。その後、GAEAJAPANへと闘いの場所を移し、2007年3月10日、OZアカデミー認定無差別級初代王者となる。2022年12月末、OZアカデミーを退団。以降はフリーとして国内外の団体に参戦している。165cm、108kg。X:@ajakonguraken Instagram:@ajakong.uraken
尾崎ムギ子●取材・文 text by Ozaki Mugiko