大谷翔平が発言「彼にはかなわない、負けたと思いました」青森にいた“怪物中学生”…なぜプロ野球を諦めたのか? 本人語る「大谷と初めて話した日」
大谷に「かなわない」と言わしめた男
取材を始めようと資料を渉猟する中で見つけたのが大坂の名前だった。大谷は中学1年の夏、大坂を見て上には上がいることを思い知ったのだという。 2017年夏に発行された『Number』誌933号の中で、大谷はこう言っていた。 〈長者レッドソックスに大坂君というピッチャーがいて、これはすごかった。そのときはもう、かなわない、負けたと思いましたね。僕よりでっかくて、体すげえな、すんげえ力だな、すげえ球も投げるなと思って、上には上がいるんだなと……〉 ところが、17年のときを経て、立場は完全に逆転してしまった。最初に会う人物は、大坂を置いて他にいないと思った。
大坂と大谷「中1夏の出会い」
何気ないやりとりだったそうだ。 「ホームラン、何本ぐらい打ってるの?」 身長168センチでがっちりとした体格だった一塁手の大坂は、ファーストベースにやってきた170センチ以上はあろうかという、しかし、大坂とは対照的にひょろりとしていた同学年の大谷にこう尋ねた。 大谷はほとんど表情も崩さずに淡々とした口調で返してきた。 「35、6本くらいかな」 大坂のリトルリーグにおけるホームラン数は通算28本だった。ただ、大谷のホームラン数を知っても別段、すごいとは思わなかったという。 バケモンとバケモンの邂逅――。それは2007年6月3日、中学1年生の夏のことだった。全日本リトルリーグ野球選手権東北連盟大会の決勝で2人は初めて相まみえた。場所は、福島県郡山市にある2万人弱収容の開成山野球場(現・ヨーク開成山スタジアム)のフィールド上だった。 プロ野球の世界において2007年と言えば、入団3年目で本格化し始めたダルビッシュが沢村賞を受賞し、ルーキーの楽天・田中将大が11勝を挙げ新人賞を受賞した年でもある。
青森にいた怪物…大坂の評価
大坂は青森県八戸市にあるリトルリーグのチーム、長者レッドソックスの「四番・エース」だった。当時、八戸・青森リーグには6チームが所属していた。長者レッドソックスは、その中で抜きん出た存在だった。理由は簡単である。大坂がいたからだ。 長者レッドソックスのライバルチームだった青森山田リトルの元エースで、大坂と同学年だった本間康暉が思い出す。 「バケモンでしたね、大坂は。東北大会につながる試合は4回ぐらいやって、全部負けました。大坂に抑えられて、大坂に打たれて負けるんです。真っ直ぐは張っていても打てない。そこに変化球を混ぜられたら、百パーセント空振りです。スコアは、ほぼ1-0だったと思います。だいたい大坂のホームラン1本で負けるんで。2ストライクに追い込んで、外に外そうと思ったら逆方向にバコーンって打たれたこともありました」
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