パリ五輪組→北中米W杯に何人が食い込める? 森保Jは充実の戦力、黄金世代が最盛期だった06年ドイツ大会と同じ構図なら...2列目や最前線は激戦区に
アテネ五輪組からはDF駒野友一のみ
大岩剛監督が率いたU-23日本代表はベスト8でスペインに0-3で敗れ、パリ五輪の戦いを終えた。 【画像】華やかに可憐にピッチで輝く!世界の“美女フットボーラー”を一挙紹介! メダルは獲得できなかった。ただ、2年後にはアメリカ、カナダ、メキシコで共催されるA代表のワールドカップが控えている。MF藤田譲瑠チマ、FW細谷真大といったA代表経験者を筆頭に、森保ジャパンに何名の選手が食い込んでいけるのか。 しかし、道のりは険しい。五輪経由ワールドカップの道を考える際に、A代表が世代交代の時期であるか否かがポイントになるからだ。 過去の五輪世代を見ても、明暗がくっきりと分かれている。 96年のアトランタ五輪から98年のフランス大会に生き残ったのは5人(GK川口能活、MF服部年宏、MF伊東輝悦、MF、MF中田英寿、FW城彰二)。続くシドニー五輪からは7人(DF宮本恒靖、DF松田直樹、DF中田浩二、中田英、MF稲本潤一、MF明神智和、FW柳沢敦)が02年の日韓大会に招集されている。彼らが長きに渡って代表の中心を担ったため、ゴールデンエイジ組が最盛期を迎えた06年のドイツ大会では、アテネ五輪組からDF駒野友一、DF茂庭照幸(追加招集)しか引き上げられていない。 その後はA代表の過渡期にも重なり、08年の北京五輪から10年の南アフリカ大会には5人(DF長友佑都、DF内田篤人、MF本田圭佑、FW岡崎慎司、FW森本貴幸)が名を連ねている。世代交代が続いていた14年のブラジル大会でも、12年のロンドン五輪から多くの選手がメンバー入りを果たした。6人(GK権田修一、DF酒井宏樹、DF酒井高徳、MF山口蛍、MF清武弘嗣、FW齋藤学)という数字は、黄金世代が主力だったシドニー五輪に匹敵する。 また、五輪の本登録リストから漏れた大迫勇也と柿谷曜一朗が這い上がり、ブラジル行きの切符を手にした点も見逃せない。そうした意味では“五輪を目ざす戦い”が最も活用される世代だった。 本田、香川、長友、岡崎といったレジェンドたちの集大成となった18年のロシア大会には、16年のリオ五輪から4人(GK中村航輔、DF植田直通、MF遠藤航、MF大島僚太)が出場。MF井手口陽介、MF中島翔哉、FW浅野拓磨も大会直前までメンバー入りを争っており、数字以上にA代表に食い込んだ選手が多かったと言えるだろう。 そして、再び世代交代の時期を迎えたため、21年の東京五輪からは過去最多の人数がA代表に上り詰めた。コロナ禍の影響でオリンピックの開催も1年後ろ倒しになり、登録人数も22名に拡大されたとはいえ、翌年のカタール大会に10人(DF中山雄太/メンバー発表後に負傷で離脱、DF板倉滉、DF冨安健洋、MF久保建英、MF相馬勇紀、MF田中碧、MF堂安律、MF三笘薫、FW前田大然、FW上田綺世)を送り出している。 過去の五輪組が3割に留まっていた点を考えれば、目覚ましい数字だ。U-23代表も同時に指揮した森保一監督のもとで、多くの選手が五輪前からA代表に登用されており、出場を逃したDF伊藤洋輝とFW町野修斗がメンバーに滑り込んだ点も兼任監督のメリットを活かせた結果だろう。