「死にたいときに誰かと繋がれたら、99%の人は死なない」不安だらけの世界を生き抜く坂口恭平のアイデア
「いのっちの電話」と経済の関係
――そんな坂口家には、家族のこと以外にも、さまざまな出来事が舞い込んできます。ひょんなことから管理を任されることになった空き家の庭で採れたすももを近所の人に配っていたら、マンションの大家さんから空き物件を坂口恭平美術館にしないかと持ちかけられるエピソードには、リアルわらしべ長者! と唸らされました。 こういう人間なんで普通に生活してるだけで、いろんな事件が起こっちゃう(笑)。でも、俺はこういうお金を介さない「無償の助け合い」みたいなものが、実は「経済」だと思っていて。そもそも「経済」という日本語は「経世済民(けいせいさいみん)」という中国の古典に由来していて「世を経めて、民を救う」という意味があるんです。 みんなは「経済=お金」だと思ってるけど、俺にとってはすももを配ることも経済だし、「いのっちの電話」(坂口が自身の携帯番号をネットで公開、困っている人の相談を受け付ける活動)で困ってる人を無償で助けることも、立派な経済なんです。 ――「いのっちの電話」は坂口さん個人でやっていることで、365日・24時間体制で電話に出られない時は折り返す。さらには困ってる原因がお金の場合はお金を振り込む。ボランティアどころじゃないブッ飛んだ活動ですが、助けた人から思い掛けない「恩返し」があったり、「お金はめぐりめぐるので、意外と損はしないどころか儲けることもたくさんある」ことに、「経済をまわす」って本来こういうことか! と目からウロコが落ちます。 俺は別に善人でもなんでもなく、ただ、お金も愛情もどんどんまわしていった方が、生活が楽しく豊かになるからやってるだけなんだけど、今の社会はお金がすべての価値基準になってて、お金を稼がなきゃ食っていけないのにどうすんの? って、不安が原動力になってるから辛くなる。 でも、俺の周りではお金はあくまでワン・オブ・ゼムで、それ以外の「好き」とか「親切心」でまわっていく世界がすでに実現してるなと感じている。それを増やしていければ、みんなの不安も減っていくはずなんですね。 ――具体的な悩みはなくても、漠然とした不安や辛さを感じている人は多い。だからこそ、坂口さんのアトリエが困っている人たちが過ごす場所になっている――というエピソードには、ホッコリしました。 どんな人の周りでも親戚まで広げたら、鬱っぽくて家にいたくないという人は絶対いる。だから街にひとつ、こういう場所があればいいですよね。 ――家や職場以外で気軽に立ち寄れる場所は、誰にとっても必要ですよね。 そういう意味では、「いのっちの電話」も一種の避難所なんです。今日もここに来る途中で28歳の女の子から電話が掛かってきたんですが、死にたいときに誰かと繋がれたら、99%の人は死なない。 俺に電話を掛けてくる人は自己否定が強くて「どうせ私なんか」が口癖なんですけど、最近はその口癖が病巣だなと感じていて。相手が「私なんか死ねばいい」って言ったら「あ、それはとんでもなく寂しいから助けてくださいってことですね」って、言葉をいっこいっこ別の言葉に置き換えるようにしていたら、相手の様子がどんどん変わってくる。 言葉や考え方の癖って無意識に染み付いている人が多いから、いちいち別の言葉で捉え直して、呪縛を解いていくということを草の根的にやってますね。