叱責でも放置でもない「第三の対応」がある…中学教師が現場で見つけた「対立なし」の生徒指導
「大変な生徒」は教師の器を広げてくれる「天の配剤」である
思春期を迎えた中学生は、その大半が感情の起伏が激しく、衝動的で、集中力や根気に欠け、誘惑に弱い。これらは前頭葉の未成熟と各部の接続の弱さに原因がある。だから大人には「理不尽な存在」に見えてしまう。 「性格のせい」「親のせい」と安易にレッテル貼りをする大人もいるが、中学生の「理不尽さ」を単一の原因に帰すことなどできはしない。脳研究の本を少し読めば、「〇〇のせい」と短絡的に結論づけられないことはすぐわかるだろう。 中学生が見せる数々の理不尽さをいったん受け止める器量を持とう。 事件が起きても「そうきましたか」と笑顔で言える余裕を持とう。 一度や二度、いや10回や20回裏切られたくらいでへこたれてはいけない。 匙(さじ)を投げたくなる貧弱な精神と訣別しよう。 彼らが私達を「教師」にしてくれる。大変な子ほど、今の自分を伸ばしてくれるのだ。今から10年近く前、ある学校で1年間、中学2年生の子どもとつきあって、私は明確にそう気づかされた。 詳しくは書けないが、4月の「出会い」の前から、その子とは言葉に言い尽くせない困難を何度も経験した。だが今となっては、私はその子と過ごしたおかげで、考え方からスキルまで、三段階は進化できたと感じている。 何よりも子どもを受け入れる器が広がり、そして私の器が広がった。そして器が広がったという、まさにそのことによって、子どもたちも私に心を開くようになった。それが「関係性をつくる」ということに他ならない。教師が受け入れなければ、彼らは決して心を開かないのだ。 彼らとの本気の関わりが、私たち教師の人間性を磨いてくれるのである。そして磨き上げられた教師の人間性から、実りある生徒指導が生まれるのだ。
長谷川 博之