セイウチ、アシカ、アザラシを「柵なし」で展示!? 水族館プロデューサーがオススメする“三重県”にある水族館とは?
山崎怜奈(れなち)がパーソナリティをつとめるTOKYO FMのラジオ番組「山崎怜奈の誰かに話したかったこと。(ダレハナ)」(毎週月曜~木曜13:00~14:55)。7月18日(木)の放送は、水族館プロデューサーの中村元(なかむら・はじめ)さんをゲストに迎えて“ラッコブーム”の裏側や今夏オススメの水族館などについて伺いました。
◆空前のラッコブーム、その功罪
これまで数多くの水族館の新設・リニューアルに携わったり、マーケティング、プロモーションまで幅広く手がけてきた中村さん。とりわけ1990年代に一世を風靡した鳥羽水族館の“ラッコブーム”の仕掛け人として知られ、「ラッコをアイドルに仕立てた男」とも言われています。 そこで、いかにしてムーブメントをつくったのかを聞いてみると、「当時、日本人の99.99%がラッコという言葉を忘れていたんです。昔、ラッコは毛皮として流通し、北海道にいっぱいいたんだけど、全滅してしまってラッコが死語になっていました。そこで、再びラッコをみんなに知らしめるために、当時出たばかりのビデオカメラを使って(ラッコの)かわいいところだけを撮影し、東京のテレビ局を回ったんです。そうしたら、みんなから『その映像が欲しい』と言われて。それで(ラッコが)大人気になりました」と振り返ります。 ただ、一大ブームとなったがゆえに猛反省していることもあると言います。それが、日本中の水族館がラッコを飼育しようと、多くの野生のラッコが連れて来られたことで、「そのことについては申し訳なかったなと思っているけれども、1つ“やって良かったな”と思ったのは、今また北海道にラッコが戻ってきているんですよ」と中村さん。 ラッコブームによってラッコが認知され、それがきっかけで好きになった人たちが、人間とラッコの共存に向けて模索していることに感動し、「水族館の存在意義というのは(動物を)見せて『かわいい』と言わせるだけじゃなく、社会を変えていく力として、生き物の命を預かっている。そう考えながらやっています」と熱弁します。