異彩放つ「早稲田のガウディ」内部の“特濃”な空間。中に進むと不思議なものが出現。90歳の梵寿綱氏に聞いた。
今回は、共用部を見せてもらいながら梵さんに話を聞いた。 梵さんは1934年(昭和9年)に東京・浅草に生まれた。早稲田に移り「近所だから」と早稲田大学への進学を選んだ。「いちばんわけがわからないのが建築だった」と好奇心から理工学部建築学科へ進む。このとき、ガウディを日本で初めて紹介した今井兼次さんの教えを受けている。 建築家として知られる梵さんだが、さまざまな一面も持つ。 大学卒業後に施工会社に就職して現場監督を務め、その後、設計事務所を開いた。28歳でアメリカ・シカゴへ渡り、シカゴ美術館附属美術大学で学ぶ。留学中は、インテリア誌でデザインの仕事をしたり、空間デザインに携わった経験もある。
さらに絵を描いて絵画展で入賞したほか、東京の設計コンペに参加して三宅坂の第一国立劇場競技設計で佳作に入選するなど、建築を中心に、芸術やスペース・プランニングの分野にも踏み込んでいったのである。 アメリカから帰国後、1968年に梵設計作務室を設立する。1974年からは、それまでの本名(田中俊郎)から名義を変えて「梵寿綱」を名乗り、「梵寿綱と仲間たち」を結成。職人の技術を復興してさまざまな手段で建築の中に取り戻す「アート・コンプレックス運動」を開始する。ちなみに名前の「梵」はインド仏教経典から、「寿綱」は養父の戒名からとったものだという。
梵さんが手がけた建築のネーミングは独特で、「阿維智(あいち)」「無量寿舞(むりょうすまい)」「和泉の扉(いずみのとびら)」「舞都和亜(まいんどわあ)」など、多岐にわたる。 梵さんは「住まい」を「寿舞」、「ビル」を「美瑠」と書き、漢字でイメージを表現する。「和世陀」には「幻想の響き」という副題があり、見る者を幻想物語へと誘う試みが名前に込められている。 ■内部は濃密な秘密の空間 梵さんのこれまでを振り返ったうえで、ふたたび「ドラード和世陀」の雰囲気を体感してみよう。