21歳で初来日…温かい指導で「日本人が好きになれた」 元J助っ人を支えた“日本の恩師”【インタビュー】
13年半Jリーグでプレーしたパウリーニョが感謝の念を注ぐ1人の日本人
Jリーグ通算355試合に出場したブラジル出身のパウリーニョは、J3松本山雅FCで一昨年に現役キャリアに幕を閉じた。栃木SCでJリーグデビューを飾った元J助っ人は、川崎フロンターレ、ジェフユナイテッド千葉、湘南ベルマーレ、ファジアーノ岡山、そして松本でさまざまな出会いを果たした。なかでも、21歳で初来日した当時、「感謝してもしきれない」指揮官との出会いが13年半に及ぶ日本でのキャリアに続く1つのきっかけとなった。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・橋本 啓/全3回の3回目) 【写真】「これで小6」「高校生かと思った」 J助っ人の身長に迫った長男の実際の姿 ◇ ◇ ◇ パウリーニョは、2010年の初来日から13年半、Jリーグの外国人選手として6クラブを渡り歩いた。その土地土地では、さまざまな日本人との出会いがあった。誰か1人でも欠けていたら、今の自分はない。そう言えるほど、心強い支えに。「みんな大切な人たちですけど……」。最も感謝を捧げたい人物を1人挙げるなら、真っ先に思い浮かぶ人物がいる。21歳で初めて日本にやって来たブラジル人が、ベテランの域になるまで日本でプロ生活を続けられたのはJ加入当時、栃木を率いていた松田浩氏(現ガンバ大阪フットボール本部長)との出会いが大きかった。 「ここまで来れたのはやっぱり松田さんのおかげです。日本のサッカーや町、日本人が好きになれたので、感謝してもしきれない。いろんな監督と仕事をして、正直に言えば全く向いてないような監督とも仕事をしたこともあるんですが、もし1番最初に出会っていたのが自分に合わない、ストレスを与えるような監督だったら、もしかしたらここまで長く日本でサッカーできてなかった可能性もあるので、松田さんにはもう感謝しきれないです」 ヴィッセル神戸やアビスパ福岡、G大阪など、6クラブで監督歴がある松田氏は大学時代にブラジルへのサッカー留学経験を持つ。そのため、ポルトガル語が理解でき、ブラジル人がどんな性格なのか、ある程度の知識もあった。日本に来て、右も左も分からなかった当時のパウリーニョ。そんな様子を見かねて、松田氏が親身になって寄り添い、一日でも早く馴染めるようにサポートした。「自分のためにここまで熱心に指導するのか」。感謝の念を抱きつつ、驚きも覚えたのは練習後のこと。日本流のタスクをこれでもかと叩き込まれたという。 「松田さんは練習後に毎日毎日、もういいだろうって思うぐらい、アドバイスをくれたんですよ。ボランチを主戦場としていたなかで、ブラジルと日本では求められる役割が違うんですよね。ブラジルだともっとボールを持つ時間があったんです。でも松田さんが求めていたのは逆にボールを持つ時間がなくて、日本じゃこういうことできないよって、熱心でしたね」。師弟関係を築いた当時の情景を思い浮かべると、思わず笑みがこぼれた。