「政界のフィクサー」「球界のドン」渡辺恒雄氏が残したもの…御厨貴名誉教授に聞く
■政治を動かす“当事者”の実像
大越キャスターは2019~2021年にかけて、私は計8回、延べ10時間以上にわたって、渡辺恒雄さんにロングインタビューをしました。そのインタビューにあたって大いに参考にしたのが『渡邉恒雄回顧録』というオーラルヒストリー。この本を作られた東京大学名誉教授・御厨貴さんに話を聞きます。 (Q.政治記者としての渡辺氏をどうみていますか?) 御厨貴名誉教授 「渡辺氏が一番言っていたのは『政治記者は書かなきゃダメだ』と。あの当時、書かれざる名記者はたくさんいました。つまり、政治家にあまりに近付き過ぎて、特ダネをもらって書けない。それが色んなことに役には立つからいるけど、書かない。これは絶対にいけないんだと。書ける材料でギリギリのところまで書く。これが新聞記者だということを繰り返し言っていました。とにかく自分は情報をもらって書いたと。そこにはすごい緊張感があったという話です」 (Q.これを世に出すと信頼関係が崩れるかもしれない。渡辺氏は『いずれ全部書いてやる』とも話もしていましたが、そういった気迫を持っていた記者だったのでしょうか?) 御厨貴名誉教授 「気迫があったと同時に、本当に真面目でよく勉強する人でした。何かやる時に徹底的に調べて、どうやって相手の懐に飛び込むかを常に考えていました。その熱量は他の記者では到底、及ばないものがありました。渡辺氏が段々、色んな意味で影響力を及ぼすにしたがって、反対がないわけではないですが、みんな渡辺氏ほど勉強していない。だからやられてしまう。そういう意味で自分に対して正直な人でした。ただ、どんどん特ダネ記者になっていくプロセスの中で、一番まずかったと思うのは、自民党の派閥の中に自ら飛び込んだこと。なぜ大野派だったのか聞くと、『総理派閥に入っても情報は来ない。総理に一番近い第2番目の人のところが情報が集まる。だから自分はそこに行った』と。普通だったら記者さんで終わるところが、渡辺氏は政治家の前で演説もするようになりました。どんな話をしているか聞いたら『大野派の将来について。あの当時の代議士はそんなもんで、よく分かってないから、自分が行けばやれちゃう』と。それをやっているうちに人事も任されるように。それを得意げに楽しげに話していました。取材者というよりプレイヤーになっちゃった。渡辺氏の間違いは、権力を批判しているうちに、いつの間にか権力になってしまったこと。権力を抑制しながらやらないといけないはずが、そういう気持ちが全然なかったです」 (Q.当時の中曽根総理との話を一番いきいきと話していた印象がありますが、いかがですか?) 御厨貴名誉教授 「中曽根総理とは、若い頃から一緒に読書会をやっていました。政治家の読書会は、読書はどうでもよくて、その後に酒を飲んでというのが多いですが、渡辺氏の場合は本当に勉強していました。中曽根が総理になった時から、渡辺氏は仕える立場で、決して友人だとは言いませんでした」 (Q.当時の自民党総裁選は現金が飛び交うなど、大変な状況だったと渡辺氏は話していました。渡辺氏が生きたあの時代の取材の在り方や政治の姿は、今にも引き継がれているとみた方がいいですか?) 御厨貴名誉教授 「引き継がれていると思います。ただ、今の記者が派閥に乗り込んで演説することは、渡辺氏本人が禁止したと言っていました。そんなことをやられたら困ると。そんな茶目っ気があるような行動をしながら、自分の政策領域を広げていき、情報を得る。そこがすごかったです」