「政界のフィクサー」「球界のドン」渡辺恒雄氏が残したもの…御厨貴名誉教授に聞く
■“保守”でありながら「非戦の思想」
保守であり憲法改正を訴えながらも、先の戦争については責任を厳しく問う姿勢を見せていました。2005年、小泉総理の靖国神社参拝について、それまでの方針を転換し、反対する社説を掲載しました。 渡辺恒雄氏 「僕たちの仲間が自爆を強制されていた。これは許せないって気が今でもある。そういうことをやらせたのはね、東条さんはじめ、あの頃の軍の幹部じゃないか。この連中がね、彼らが殺した被害者たちがいる靖国神社に一緒にいて、外国からみればヒトラーをまつった神社に拝礼に行くと同じですから。それと遊就館というもの。戦争美化・軍国主義・礼賛の施設が靖国神社の中にある。外国の人が来たら皆あきれちゃいますよ」 渡辺氏が生まれたのは1926年、大正最後の年。東京帝国大学哲学科に入学の直後、軍に召集されました。1945年、敗戦の影が濃くなっていたころです。大越キャスターのインタビューにこう語っていました。 渡辺恒雄氏 「帝国主義に対する反発は中学の時から。太平洋戦争が始まったのは中学在学中ですよ。やっぱり軍国主義に対する抵抗だね。(自分も)軍隊へ行ってボコボコに殴られたけど、まぁ耐えていたわけだね。軍の横暴、独裁政治のわるさ、身に染みて」 そもそも哲学を志した人です。徴兵されてもドイツの哲学者カントの本は手放しませんでした。 渡辺恒雄氏 「『実践理性批判』の結語の冒頭だったがね、自分が一生考えていまだに敬意を表しているものが2つある。1つは、上なる星ちりばめたる天空。1つは、わが内なる道徳律である。この道徳的価値というものは、軍隊で弾飛んでこようと、上官にぶん殴られようと傷つけることはできない。俺のものだという一つの哲学があった。それで死に抵抗するわけだ」 大連立構想を提案された福田康夫元総理のコメントです。 福田康夫元総理大臣 「私自身も渡辺さんの御指南を賜りました。そのなかには今もって明らかにできない密議もあります。渡辺さんは間違いなく日本政治の中心におられた方でした。そうした渡辺さんの信念は、私は反戦・平和にあったと思います。戦争の悲惨さを知る世代のジャーナリストとして、二度と同じ過ちを繰り返してはいけないという強い思いを言葉の端々から感じました」 読売新聞によると、先月末まで定期的に出社し、会議にも出ていました。生前に建てた自身の墓には盟友、中曽根元総理が記した墓碑銘が刻まれているといいます。 「終生一記者を貫く」。その生涯は記者という立場を遥かに超えるものでした。