"2018年の松坂大輔"と徹底比較! 田中マー君「カムバック」の絶対条件
球団創設以来、最高のレジェンドが楽天を去ることになった。高校野球でその名をとどろかせ、プロ入り後も日米で大活躍を続けてきた田中将大が岐路に立っている。今季は日米通算200勝まであと3勝に迫りながらも、キャリア初のシーズン未勝利。崖っぷちの状態だが、ここから大復活できるのか!? 【写真】田中将大の栄光の足跡 * * * ■日米で活躍した栄光の足跡 楽天を電撃退団した田中将大について、世間ではさまざまな意見が飛び交っているが、「球団の意向も、田中の考えもどちらも理解できる」と語るのは『週刊プレイボーイ』本誌おなじみの野球評論家、お股ニキ氏だ。 「選手として期待されていないのだから、新天地を探そうというのもわかります。ただ、球団側にとっては、年俸の減額制限を超えたダウン提示も致し方なし。それほど力は衰えています。 MLBから復帰後の4年間で20勝33敗の投手に対し、楽天はすでに25億円支払っているわけですし。とはいえ、球団史上最高のレジェンドを失ってはいけなかったとも思います」 実はお股ニキ氏、SNSで田中から先にブロックされた経験があり、その際、ダルビッシュ有(当時レンジャーズ)の仲介でブロックを解除してもらったという。そのような経緯もあり、田中の投球に関しては一家言ある。 「甲子園で活躍した高校時代、『田中のスライダーは消えるからどうやっても打てなかった』と関係者たちが証言していましたが、これは私が『スラッター』と呼ぶ左斜め下に落ちる軌道の変化球であり、高校生でありながらプロでも通用するレベルでした。 実際、当時球団創設3年目だった楽天でも高卒1年目でいきなり11勝、186イニング登板を記録。今年の西武で高卒ルーキーが同じ成績を残したと考えてみれば、どれだけすごい成績かわかるはずです」 その後は、日本一になった2013年の24勝0敗、防御率1.27の印象が強いが、お股ニキ氏は「本当の全盛期はその2年前」と語る。 「ブライアン・ファルケンボーグ(当時ソフトバンク)のスプリットを覚え、手がつけられなくなりました。 19勝5敗、防御率1.27の成績で、18勝6敗、防御率1.44だったダルビッシュ(当時日本ハム)を抑え、最多勝と最優秀防御率、最高勝率のタイトルを獲得。MLB移籍前の山本由伸(ドジャース)と同じく球史に残る傑出度でした」 14年、ポスティング移籍でヤンキース入団。ルーキーイヤーから6年連続2桁勝利と抜群の安定感を発揮する。だが、勝利数とは裏腹に、投球内容は日本時代から変化した。 きっかけは1年目の夏に右肘靱帯を部分断裂してしまったこと。早期復帰を目指した田中はトミー・ジョン手術ではなく、PRP注射による対症療法を選択した。 「確かに復帰は早まったものの、それ以降の田中はのらりくらりとした投球がベースになり、最大出力を出すのはプレーオフくらい。ただし、ギアを上げて投げるプレーオフでは、ピンチになるほど好投することが多かった。気迫の投球で球場を盛り上げ、味方打線の援護が生まれやすい空気をつくっていました」 しかし、生命線のスライダーの質が変わったことで、成績は下降線をたどることとなる。 「MLB6年目の19年頃から、横に大きく曲がるスイーパー成分を加えた結果、スプリットの質が悪化。また、データを極端に数字どおりに導入してしまう傾向があり、高めはストレート、低めはスライダーかスプリットという見切りやすい投球内容に。 ヤンキース最終年の20年はコロナ禍の短縮シーズンとはいえ3勝に終わり、日本に復帰することになりました」