セガサミー会長「こんな最悪のケース見たくない」コロナ禍でゲーセン全閉鎖の試練…でも「任せた」 若手社長がピンチで構造改革を決断
2004年10月、パチンコ・パチスロなど遊技機のメーカー「サミー」と、ゲーム企業「セガ」が経営統合して誕生した「セガサミーホールディングス」。里見治紀氏 代表取締役社長グループCEO(45)は、巨大企業を30代の若さで父親から事業承継したが、そのきっかけを作ったのは、サミーが町工場だった頃から働いてきた役員たちだった。 【動画】30代で大企業を受け継いだ二代目、400億の想定赤字で父と対立
◆「息子さんを社長にしてください」
里見治氏は、当時の事業承継の風景をこう振り返る。 「息子が37歳ぐらいのときに、サミーの役員がみんな私のところに来て、『治紀さんを何とか社長にしてもらえませんか』と言ってきたんです。彼らは早く大人にしたいみたいなところがあったのかもしれない。私としては、やっぱり親として嬉しかった。『私たちが絶対ちゃんと支えます』と言うから、本当は40歳ぐらいで承継しようと思っていたけれど、スケジュールがずいぶん早くなりました」 そして、里見治紀氏は、2016年、サミーの代表取締役に就任し、2017年にはセガサミーホールディングスの社長に就任する。 互いを尊重しつつ、「口を出さない会長」だったが、大きな対立もあったという。 巨大企業を事業承継した後のピンチについて、里見治紀氏に聞いた。
◆「任せた以上は任せる」口出し会長にはならない
----社長就任後、お父様との関係はどうなりましたか。 父親が出てくるのは取締役会だけになり、経営会議に出てこなくなりました。 私の仲間で事業承継に苦労している人もいますが、うちが良かったなと思うのは、お互いがお互いをものすごく気遣っていた点です。 父親は、人前で私のことを怒らないし、逆に私も父親の経営方針批判などを裏でワーワー言ったりしませんでした。 本人の前では言いますけどね。 ----事業承継で、先代が権限を譲らず、うまくいかないケースは多々あるといいます。 父親も、先代社長が新社長の息子に権限を全然渡さず、社長が決めたことを後で先代がひっくり返す会社を見ていました。 それに対して、「ああいうことをやっちゃいかん。それだったら社長にしなきゃいいじゃないか」と言っていたんで、自分が同じ立場になったときには、気を遣ったと思います。 本当は言いたいけど我慢していたと思います。 何回か、私が取締役会とかで物事を決めたとき、後で部屋に呼ばれて「俺は、本当は違うと思っている」と言われたりしました。 でも、取締役会で会長がひっくり返したら、誰も私の言うことを聞かなくなりますから。 役員人事も私が決め、父親は追認するだけでした。人事は、やっぱりみんな見ていますから、私に人事権がないと思ったら、父親にごまをする方が出てきてしまいます。 その点、父親は「それは治紀に任せているから」と言っていました。 すると、社内外の人が、私を見るようになります。父親が、そう仕向けてくれてありがたかったですね。