【高校野球】プレー中に喜怒哀楽を見せない早実・宇野真仁朗 父と交わした10項目の約束
野球一家に育って
宇野は野球一家に育った。父・誠一さんは桐蔭学園高(副将)で内野手、獨協大(主将)で捕手、内野手として活躍した。大学卒業後は社会人野球のリクルート、ローソン、フェデックス、WIEN94でマネジャー、コーチ、監督を歴任。現在は宇野が中学時代にプレーした市川シニアで監督を務める。 長男・隼太朗さんは桐蔭学園高でプレー。外野手の次男・竜一朗さんは早実を経て、現在早大4年生で、学生コーチとして今春のリーグ優勝、全日本大学選手権準優勝に貢献した。 三男・宇野は小学6年時に侍ジャパンU-12代表に入り、チームは3位で、ベストナイン(外野手部門)を受賞。日の出中時代に在籍した市川シニアではシニア日本代表と、エリート街道を歩んできた。当時は本塁打を打つたびに、ガッツポーズしていたという。だが、勝負をしにいく名門・早実では野球人としてだけではなく、人としての幅も必要。謙虚な姿勢を持ち続ける。それが10カ条の原則だ。 「父は野球に対して、豊富な知識があり、尊敬しています。技術的な部分だけではなくて、考え方、ルールなど、グラウンド外のことでも学ぶことは多いんです」
親であり、野球の指導者だった父に敬意を表す。試合中はアンパイア、相手チームをリスペクトする思いが心の奥底にあるから、気持ちの浮き沈みがない。決勝後、過去に激戦を繰り広げてきた歴史がある日大三高について問われると、宇野はこう言った。 「日大三高さんでなければ、こんな決勝はできなかった。感謝の気持ち。試合をやっている中で野球に対する熱い思いを感じた。その思いを背負って、甲子園でもプレーしたい」 家族への「恩返し」もできた。父・誠一さんは高校1年夏に甲子園出場。アルプス席で当時のエース左腕・志村亮(のち慶大)ら先輩を応援した。子どもたちに託した甲子園の夢。長男、次男が届かなかった大舞台に、三男がラストチャンスでつかんだのである。誠一さんにとって、高校野球に携わった最初と最後に、甲子園との縁が生まれたのである。 宇野の自宅は千葉県内にある。学校は東京都国分寺市内にあり、授業を終えた後、野球部員は八王子市内のグラウンドへ移動する。宇野は母・博子さんとグラウンドの近くで生活。食生活ほか、サポートへの「感謝」は言葉では言い尽くせない。 高校3年間、誰からも応援される「宇野真仁朗」という、選手像を確立した。次なるステージは甲子園。1905(明治38)年創部の伝統校をけん引する主将・宇野のプレーはもちろんのことだが、その所作にも注目である。 2024年の早実野球部のチームスローガンは「頂戦 この一瞬にすべてを懸ける」。西東京の頂は手にした。次なる目標は言うまでもなく18年ぶりの全国制覇。主将・宇野ら3年生は、斎藤佑樹(元日本ハム)を擁して悲願の夏の甲子園初優勝を遂げた2006年生まれ。何かの縁を感じずにはいられない。 文=岡本朋祐
週刊ベースボール