集団避難で「空っぽ」になった集落…残ることを選んだ男性と避難先で暮らす家族 能登半島地震のその後
2024年1月1日、震度7の揺れが石川県を襲った。道路、水などあらゆるものが絶たれ、孤立集落から全住民を別の場所に移す“集団避難”が進められた。 【映像】住民が消えた集落の様子(実際の映像)
輪島市の南志見地区も、地震前は約700人が暮らしていたが、今はほとんどが地区を出て避難生活を続けている。 そうした中で、復旧の力になりたいと故郷にとどまる男性や、地元に愛着を持ちつつ遠く離れたアパートで暮らす家族などさまざまな人がいる。「望郷」と「現実」が入り混じる、集団避難の行方を追った。
震災後も故郷にとどまる男性「何がなんでも守る」
石川県輪島市と志賀町で、震度7を観測した能登半島地震。240人以上が死亡し、9万棟を超える建物が被害を受けた。土砂崩れなどにより道路が寸断され、県内で24の集落が一時孤立し、全ての住民を他の場所に移す“集団避難”が進められることになった。 そんな中、輪島市議会議員の大宮正(おおみや・ただし)氏は、集団避難で空っぽになった故郷に残り、各自宅に不審者が入らないよう見回りをしている。「誰もいないことを世の中に宣伝したので、変な輩が入らないように見回りをかねて」。 輪島市南志見地区は、400年以上の伝統を持つ「御陣乗太鼓(ごじんじょだいこ)」で知られる港町だ。345世帯、725人が暮らしていたが、市街地へ続く大動脈だった国道249号が絶たれ、集団避難の対象となった。地区にあった避難所は閉鎖され、大宮氏を含めて3世帯6人だけが集落に残ることとなった。 車で15分ほどだった学校や職場、スーパーのある市街地へは、迂回路を通り1時間以上もかかる。断水が続いており、大宮氏は週に1度、輪島市の隣にある能登町まで、水をくみに行っているという。
妻と暮らす自宅は倒壊をまぬかれたものの、裏山が崩れ、危険と隣り合わせの生活を送っている。それでも南志見に残ることを決めた。「南志見地区は俺の故郷やから、何が何でも守るぞという意識しかない。いち早く皆さんが帰って来られるように、何をすればいいのかという話なので」。