集団避難で「空っぽ」になった集落…残ることを選んだ男性と避難先で暮らす家族 能登半島地震のその後
「『辞めません』とは言えないですよね。帰りたい気持ちがあるというのは、ここで仕事ができないということ。ただ、帰れるとしてすぐに帰るかといえば、それはわからない。正直に言っていいものなのか…。面接に響いて『いずれ辞めるなら雇わないでおこう』となるかもしれないですしね」 そう語っていた後、「いつかは故郷に戻りたい」と伝えた野口さんに、不採用の通知が届いた。
復旧・復興に向けた道のり
地震の影響で隆起した海岸に、サザエをとる住民の姿があった。昨今、南志見への一時帰宅者も増えてきているという。 「『久しぶりに帰ってきたわ』といろんな顔を見ると嬉しい。たまに『向こうに帰るわ』というやつがおるから、『馬鹿野郎、お前帰ってくるのはこっちやぞ』と言った覚えがある。そんな言葉を聞かされると、生活の基本があっちにあるのかなと感じたり。本当はこっちに帰ってくるべきなのに、『あっち帰るわ』という言い方をされるとちょっと寂しかった」(大宮氏) 議員でもある大宮氏は、地震の後初めてとなる輪島市議会に出席していた。政党も会派も超えて住民から寄せられた声を届ける。 「我々が住む地元の道路を見てみると、地震が発生してから土砂を取り除く重機も撤退し、今後に向けてどのように復旧を行うのか全く示されておりません。市民の皆さまがこの輪島に住み続け、生き続ける、諦めていない、そういう思いがあると捉えて、質問をさせていただきました。私たちの輪島市、市民の皆さんと一緒になって復旧・復興をさせましょう」 集団避難から復旧・復興へ向けて、道筋を示すことが求められている。輪島市の坂口茂(さかぐち・しげる)市長は「まずは集団で、やっぱり地域のコミュニティが大切ですから、集団で仮設住宅に入っていただいて、そこでコミュニティを大切にしながらまずは生活していく」と集団生活の重要性を述べた。
「望郷」と「現実」に揺れる住民
自宅を片づけるため、一時的に南志見に戻った野口さん。結婚を機に5年前に新築した自宅だが、窓には崩落した土砂が迫り、隆起の影響で床は傾いていた。集団避難した集落のため、建物の安全性を調べる「応急危険度判定」は行われなかった。 「(自宅は)基礎から直す形になると思う。地面もどうやって直すのかわからんけど。専門の人と喋って…そんな形になるんかな。このままじゃ住まれんからね。また、震災前の生活に戻れるだけでいい。それが願いですね、本当に」(野口成二さん) 正社員の求人は不採用になったが、パートやアルバイトにも幅を広げて、就職活動を続けていた野口さん。しかし、農業法人での長期アルバイトも不採用だったという。「なかなか長期のアルバイトは、募集してないみたいやし、業種変わってでも視野を広げて長期のアルバイトで雇用してくれるところ探すしかない。どんな形であれ雇ってくれるところがあったら、そこで働かしてもらって。ほんで帰ればいいんじゃないかな…」。 石川県の馳浩(はせ・ひろし)知事は復興に向けて「誰しも自分の故郷を忘れるものではありません。物理的に様々な事情で今回の地震で当面、違うところで居住せざるを得ない方もいらっしゃいます。しかし、必ず故郷に帰ろうと思えば、帰ることのできる状況を作るというのが私のミッションだと思っています」と語っている。
一方、南志見地区で建設が進められていた仮設住宅は、2024年4月から住民への引き渡しが行われた。大宮氏は「不安と楽しみと半々やわ。できた楽しみはあるけど、帰ってきてくれるかの不安も残っとる。絶対来るという保証がないからな」と心情を述べた。 集団避難の後、故郷を追われた人たちは、再び選択を迫られている。南志見へ戻るのか、戻らないのか。「それ見届けて死にたい。それは本当に思うな。そこまで頑張りたいけど、どうなるかわからん。とにかくやるだけやってみる」(大宮氏) (北陸朝日放送制作 テレメンタリー『望郷と現実と ~能登半島地震 集団避難の行方~』より)