性暴力事件で逆転無罪、SNSでは裁判長への批判の声も…署名運動の何が問題か? 弁護士が考察
●事実や法律を知らない人は批判をしてはいけないのか
一部の法曹からは、署名した人や判決に不満を伝えた人に対して、「判決の全文を読んでから批判するべき」といった批判の声も上がりました。 理想をいえば、どういう事実があって、どういう判断の下にそういう判決となったのかを、きちんと理解した上で批判を行うことが望ましいでしょう。 しかし、「判決をきちんと読まないと批判する資格がない」なら、事件を担当した人以外はほとんど判決文を持っていませんから、大多数の人は批判ができないことになります。 また、「法律のことがわかってない人はとやかく言うな」というのも、違うように思います。表現の自由とは「分かっている人だけ」に認められるような制限的なものではありません。 多くの人は法律にくわしくはないのです。そういった人が素朴な疑問の声を上げることが否定されるのはおかしなことです。 国民による自由な批判を封じてしまうのは、表現の自由保障の観点から問題であり、国民の裁判への関心を減退させることも、恣意的な裁判が行われる危険性を高めかねないものであり、望ましくないように思います。
●司法権の独立と表現の自由のバランス
司法権の独立と表現の自由とは、時に緊張関係に立ちます。司法権の独立が認められるからといって、裁判所が恣意的な判断をして良いことにはなりませんし、反面表現の自由があるからといって、どんな罵詈雑言(ばりぞうごん)も許されるということにもなりません。 自分にとって納得いかない判決が出たからといって、判決を下した裁判官の罷免を要求する、ということになれば、司法権の独立を害するおそれが出てきます。 反面、様々な意見が飛び交うのを認めることは、民主主義が正常に機能していくために大切なことです。そこでは自分とは異なる意見も多数あることが当然ですし、1つの問題について知識も理解も異なる人たちが、様々な角度から発言することが前提となります。 今後、判決の内容についてある程度明らかになってくるでしょうし、その判断についての議論も活発化するかもしれません。その際に必要なのは、議論と単なる攻撃とは違うものであることを念頭に置いて、自分とは異なる意見も尊重しつつ発信するよう心がけることだと思います。(弁護士ドットコムニュース編集部・弁護士/小倉匡洋)