親子三代のボクシング界”ミライモンスター”松本圭佑がプロ転向。「井上尚弥さんの言葉に押された」「父のロマンを」
「卒業まであと2年、どうモチベーションが保てるかと考えたとき自分が弱くなるような気がしたんです。今はボクサーの選手寿命は長くなっていますが、それでもそんなに長くはない。それと早く自分で稼ぎたかった。大学へ両親に行かせてもらい仕送りをしてもらい迷惑をかけていましたから。いろんなことが重なり、早くプロで活躍したいと決断しました」 年明けに退学届けを提出した。 父も息子の決断に賛成した。 「やれとも言えない、辞めろとも言えない。見守るしかなかった」 大橋秀行会長も「子供のころボクシングを嫌がっていた圭佑が今、ここにいるのは不思議な感じがする」と言う。 幼稚園の頃から父につれられジムへ通った圭佑は、リングのエプロンを机代わりに宿題をするなど、ジムをリビング代わりにしていたがボクシングをすることは拒否していた。 大橋会長が「ボクシングをやればヘラクレスオオカブトをあげるよ、ポケモンゲームだってあげる」と飴をちらつかせたが乗ってこなかった。だが、小3の夏休みから、突然、ボクシングを始めた。 「当時、なまけた生活をしていて、ぽっちゃりしていました。運動神経は悪くなかったんですが、小学校3年で運動会のリレーのメンバーになれなかったんです。幼いながらショックを受けていたときに父親に誘われたんです。僕は父親っ子でもありました。父の帰宅は午後10時を過ぎて、ほとんど逢う時間がなかったんです。それが寂しかったのですが、ボクシングをやることで父と一緒にいられる時間も増えました。それもボクシングを続けることができた理由になりました」 祖父、父から受け継がれた”ボクシング遺伝子”が覚醒した。小5からU-15で5連覇した。高校1年の選抜大会のライトフライ級で優勝を果たすが、インターハイでは3年連続で準優勝。2年から立ちはだかったのは習志野高の堤駿斗(現・東洋大)だった。当時、世界ユースで金メダルを獲得していた堤との対戦前には「勝てるはずがない」と臆していた。 結果は「プレッシャーをかけられ圧倒されての負け」(松本)だった。だが、3年生の対戦では敗れたものの「差は縮まった」という。そのライバルは、現在、昨年の全日本を制して東京五輪代表候補となりメダル有力候補となっている。 「ちょっとした技術の差なんです。左の差し合いや距離感。でも、彼がいたからこそ成長できた。彼と違う世界へ先にいきたいとも考えた。プロでも彼との戦いで学んだものを参考にしたい」