39歳で始めた妊活のリアル「全裸で三点倒立」「理不尽な非難」それでもいつか最愛の我が子に会うために
2022年、39歳で韓国人男性と結婚をしたピン芸人・本日は晴天なり。結婚を決めた理由のひとつには「子供が欲しい」という思いがあったという。高齢出産のリスクを覚悟して妊活を始めるまでの心情の変化とは。 【写真】39歳で妊活を始めた筆者、旦那はキャバクラで出会った韓国人
親戚の子を溺愛するだけで、じゅうぶんだった20代
これから綴る私の経験は、こんな人もいるんだなぁと、ひとりの「妊活奮闘記」として読んでほしい。そして、多くの妊活戦士たちとハグを交わし分かち合いたい。 妊活にはここに立ち、一歩踏み出した者にしかわからない想いがある。私たちは「子供なんか興味ないや」と思っていたあのころにはもう戻れない。 20代のころ、子供が欲しいと思ったことはなかった。 そんな話を父親にすると、「ここで家系が途絶えちゃうじゃん」と言われた。それに対して私が「微生物だった太古の昔から、私という人間を最終目標として進化してきたんだから、ここで完結! ゴールだよ!」と言ったら、むちゃくちゃ怒られたのを覚えている。この発言は私の数ある黒歴史の中のひとつだ。 自分自身が遺伝子のゴールにふさわしくないことを悟ったわけではないが、30代になると猛烈に子供が欲しくなった。一番の理由は自分と年の近い親戚が子供を産み、その異次元のかわいさに人生が変わってしまうほどの衝撃を受けたからだ。 自分の子ではないのに、この子のためなら命を懸けられると軽率に思った。親戚の子にもかかわらず、私はこの子にかなり依存し、この子は奇跡の子!と、親バカならぬ“親戚バカ”を発揮。この子がいれば何もいらない!将来、習い事の月謝は私が払う!高校生くらいの一番お金が欲しい時期までに貯金して、いつもお小遣いをあげる羽振りのいい親戚のおばさんになるんだ!と目標を掲げた。 お笑いライブでも“親戚の子が愛しいあるある”をフリップネタとしてやろうかとも考えた。しかし、似たような構想のネタを我が子ver.でやってる芸人がまあまあスベっていたのでそれはやめた。でも、それくらい親戚の子で頭がいっぱいだった。 5年も経てばこの子も5歳になり、かわいいと思えるのもこれくらいの時期までだと聞くので、この依存からも解放されるはずだろうと思っていたが、10年経っても同じような考えのままだった。なんなら第2子も溺愛し、率先してベビーシッター的なことまでしていた。もう余生はこの子たちのために生きていく!とすら考え、日々を過ごすうちに、ある考えが芽生えるようになった。 親戚が産んだ子で命を懸けられるのなら、自分自身の子がいたらどうなっちゃうんだろう? どんな気持ちになるんだろう? そんなことを考える機会が増えた。 そのころには親戚の子供だけではなく、インスタのリール動画やTikTokで夜な夜な赤ちゃんや子供の動画を漁る時間が人生で一番の癒やしになっているほど子供が好きになっていた。 もちろんネットの動画は断片的な部分しか流れてこないし、親戚の子は空いている時間に会いに行き、ただひたすらかわいい部分だけを見ていたので、それだけで子供が欲しいだなんて考えるのは甘いというのもわかっていた。我が子となると、24時間365日責任が伴い、時には叱るらなくてはならない。となると、まったく真逆の感情が生まれる可能性もある。 ニュースで見るような痛ましい事件だって、そうした真逆の感情が生まれた結果なのだからこそ、安直な考えはできない。本当に子供と四六時中一緒にいたらどうなるか……なんてどれだけ想像したところで、答えは出なかった。