「未練はないけどちょっと泣いた」AKB48加入もコロナ禍で一状況が変した福留光帆「あんなにアイドルに憧れていたのに…」卒業時の心境明かす
元AKB48に所属しアイドル活動を行っていたタレントの福留光帆さん。小学校時代からオーディションを受け続け、ようやくつかんだAKBの座。にもかかわらず、2年7か月の活動を経て、2022年にあっさり卒業を決めた理由とは?(全3回中の1回) 【写真】「この頃からアイドルの片鱗が」高校の体育祭での福留光帆さん ほか(全14枚)
■オーディションを受け続け、地下アイドルになりかけたことも ── 福留さんはAKB48のメンバーとして活躍されていましたが、小さなころからアイドルになりたかったのですか?
福留さん:小学校高学年のときに、同年代の子が出ているドラマを見て俳優になりたいと思い、子役事務所に入りました。でも仕事がぜんぜんなくて、2年ほど所属して辞めることに…。もともとはアイドルが好きだったんです。アイドルが出てくるアニメが好きだったこともあり、ずっと憧れていました。中学2年生のときにNMB48に好きなメンバーができて、それがきっかけでグループに入りたいと思い、オーディションを受けるようになりました。
── オーディションにはどれくらい挑戦されたのですか? 福留さん:中3からAKBに加入する高校1年生までいろんなオーディションを受けたのですが、落ち続けていました。地下アイドルのグループに加入できそうになったことがあったのですが、「やっぱりAKBグループがいい」って思ってお断りしたんです。 ── 地元の兵庫県から離れるのは心配ではなかったですか? 福留さん:グループのメンバーになりたいという気持ちが先走りすぎて、受かったときのことはなにも考えていませんでしたね(笑)。それこそHKT48(博多)もNGT48(新潟)も受けましたが、受けた後のことは想像もしていなかったです。だから、本家であるAKBに受かったときは、気が動転してしてしまって。めちゃくちゃうれしかったことは覚えているのですが、あまり実感はわかなかったです。
── オーディション合格を伝えたとき、ご両親はどのような反応でしたか? 福留さん:ずっとオーディションを受けていたので、前向きに応援してくれていました。AKBの最終審査では、母と一緒に上京したんです。でも、オーディション会場には来られなかったので、合格したら来てもらうことになっていて。合格が決まって、母に「合格したから会場に来てほしい」と伝えたんですが、「また冗談言って~」って感じで、5分くらい信じてもらえませんでした(笑)。そんな母ですけど、合格してからもめっちゃ応援してくれましたね。