【光る君へ】NHK大河では描けない…汚物まみれで死んでいった「道長」の苦しい最期
糞尿まみれで苦しみ続ける
子女を次々と失って、道長の精神は途端の苦しみにあえいでいたと思われるが、肉体はそれ以上の状況になっていく。『小右記』によれば、とくに11月10日に重篤な状態になってからは、栄華を極めた権力者の最後にしては、惨憺たる状況が続く。『光る君へ』の最終回では、さすがに描きにくいのではないだろうか。 意識はしっかりしていたものの、寝たまま糞尿を垂れ流すようになってしまい、11月13日には沐浴して念仏をはじめている。なんとか極楽浄土に往生したいという強い願いからだろう。 24日には危篤状態に。こうなると糞尿はかぎりなく垂れ流されることになる。すでに出家して上東門院となっていた彰子と、道長の四女で後一条天皇に入内した威子が見舞ったが、汚物にまみれた父に近づくことはできなかったという。 背中の腫れ物が乳や腕に悪影響をおよぼしているというのが医師の見立てで、11月25日、道長は法成寺阿弥陀堂の9体の阿弥陀如来像の前に移されると、12月1日には、背中の腫れ物を切開するという治療が施された。しかし、膿汁と血が少し出ただけで、道長はあまりに苦しそうな叫び声を上げたという。麻酔もなにもない時代のことだから、苦しさは想像するに余りある。
同じ日の死去した行成
とはいえ、死去したという噂が何度か立ちながらも、しぶとく生き続けていたが、12月4日の早朝に旅立った。享年62。30年以上にわたって圧倒的な影響力を誇ってきた権力者で、政変で追い落とされたわけでもないのに、精神的にも肉体的にもこれほどの苦しみを背負って死んでいく、という事実に感慨を禁じ得ない。 そして同じ12月4日、道長の事実上の側近だった藤原行成も、数日前から体調を崩したあげく、厠に行く途中で転倒したのが原因で死去している。享年57だった。なんという偶然だろうか。二人は極楽浄土に行けたのだろうか。 香原斗志(かはら・とし) 音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。 デイリー新潮編集部
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