児童虐待を10年以上受けた女性「親からウソの謝罪動画を撮影され」屈辱の思春期も「また叩かれると思うと従うしかなくて」
私は、「施設に残りたい」と訴えたのですが、前例がないから難しいと言われて…しかたなく自宅に戻りました。でも、その半年後の高校1年の10月に保護され、5回目の一時保護所での生活が始まってしまって。 ── また一時保護されたのですね…。いったい何があったのですか? 阿部さん:施設を退所してから2週間後くらいに、義父からの身体的・心理的虐待がまた始まったんです。高校生活は充実していたけど、自宅にいるのがとにかくつらくて。毎日3時間くらいしか眠れず、成績不振が続いていました。ある日、限界を感じて、高校の図書室の先生に相談したんです。
── 図書室の先生とはどんな話を? 阿部さん:先がまったく見えないこの状況に耐えられなくて、「これからどうしたらええんやろう」と。先生は話を聞きながら私の気持ちを尊重してくれ、私が「児童相談所に行ってくる」と言うと、「待ってるね」と優しく答えてくれたんです。それで、もう行くしかない!となって、児童相談所に向けて自転車で出発しました。 ── えっ!いきなり行ったのですか? 阿部さん:そうなんです。当時の私はスマホを持っていなかったので、道路の標識とバスの停留所名をたよりに、40分くらい自転車をこいで行きました。でも、やっと着いたと思ったら、警備員さんに「もう閉所しているから、今日は我慢して明日きてください」って言われちゃって。「虐待されているのにどうして入れてくれないの?」と大泣きしながら訴えたのですが、それでもダメで、いったんあきらめかけました。
でも、どうしても家には帰りたくなかった。それで、そのまま別の児童相談所に自転車で数時間かけて行きました。結局、夜の10時ごろに着いて、インターホンを鳴らしながら「助けてください!」って泣き叫んだんです。そうしたら、どうにか保護してもらえて、5か月そこで過ごしました。
■親元には戻りたくない…でも高齢児の保護は難しいという現実 ── その後はどうされたのですか? 阿部さん:自立援助ホームに入所しました。そこは、児童養護施設など社会福祉施設を退所した子が自立の準備をするため施設です。児童養護施設は年齢制限が18歳未満で、私は当時16歳だったので高齢児保護となり、退所まで2年しかないことで入所までいろいろなハードルがあって受け入れが難しいとのことで、自立援助ホームになりました。