児童虐待を10年以上受けた女性「親からウソの謝罪動画を撮影され」屈辱の思春期も「また叩かれると思うと従うしかなくて」
義父は、「虐待をしていない証拠動画を弁護士に提出すれば、俺たちの勝ちや」と言い張っていました。そのときの私は、「義父の言うことを聞かないとまた叩かれる」という恐怖しかなくて、従うしかありませんでした。ちなみに、このときは2回撮らされたんです。1回目は目が泳いでいてあまりに挙動不審に見えて、バレてしまいそうだからと。 実は、当時の動画は私の手元で保管していて、昨年、私が出演したドキュメンタリー映画で初めて公開しました。観てくれた大半の方が「謝罪を強制されたことがよくわかる」と理解を示してくださって。つらい体験だったけれど、今は残しておいてよかったと感じています。
── 動画を撮影した後はどうしたのですか? 阿部さん:施設に戻って、職員さんたちに「親に謝罪の動画を撮影させられた」と打ち明けました。それもあって、家庭裁判所で施設入所を継続することが決まり、中学3年まで児童心理治療施設で過ごすことができたんです。
■中学時代は穏やかな日々も高校で再び悪夢 ── 児童心理治療施設での思い出はありますか? 阿部さん:みんな仲がよかったですね。遊具を使った鬼ごっこみたいな遊びをして、グラウンドを走り回っていました。しょっちゅう走り回っていたからか、体も強くなったみたいで、4人部屋の3人がインフルエンザになっても私だけかからなかったほど(笑)。体が強いのは、強いバレーボール部に入っていた影響もあるかも。練習が厳しくて、中学の部対抗試合ではいつも準優勝していました。
── 中学卒業と同時に児童心理治療施設を退所してからは自宅に戻ったのですか? 阿部さん:はい。私立高校への進学が決まったことが理由です。高校進学のことは親とたくさん話をしていました。やはり施設の最終目的は「家庭に戻すこと」なので、将来についても親との話し合いが優先されるところがありました。親も私にたくさん期待していたようです。 進学先については、本当は行きたい公立高校があったのですが、親に逆らうとその後でもっと嫌な思いをすると思うと言い出せず…結局親に言われるまま私立高校を受験することにしました。決めた時点で受験まで1か月しかなかったので、その間に受験の傾向を分析して問題のパターンを覚え、必死に勉強しましたね。合格はできたのですが、施設の予算の関係で施設からは進学できないことがわかり、家庭復帰することになったんです。