BREIMENの高木祥太、hamaibaが語る「山一」の歴史
BREIMENのベースボーカル・高木祥太が「今話をしたい人」を呼んで対話する連載企画「赤裸々SESSIONe FROM BREIMEN」。そもそもこの企画は、「山一」と呼んでいるBREIMENと仲間たちの拠点で日夜繰り広げられていた人間・社会にまつわる話や、高木の生き方が表れている楽曲の源泉を、活字・写真・映像という形にして山一に通う人以外にも届けようという試みだった。しかし、悲しい報せは突然訪れた。エリアの再開発によって、山一の取り壊しが決定してしまった。 引っ越しを迫る通知を受け取ったのは、BREIMENの全ミュージックビデオやジャケットを手掛けている映像作家のhamaiba(GROUPN)。彼は、人生が「詰んだ」状態だった頃から7年間、この家で暮らしながら映像作家としての活動を続けてきた。BREIMENの他にも星野源「生命体」、imase「ミッドナイトガール」、PEOPLE 1、Teleなどのミュージックビデオを手掛け、今や音楽業界でもっとも求められる映像監督の一人となったhamaiba。社会の狭い価値観から外れた人たちも許容した場所・山一の歴史と、アーティストたちから求められるクリエイティヴィティを培ったhamaibaの人生が交差した7年を、ここに残す。 ※この記事は2024年6月25日に発売された「Rolling Stone Japan vol.27」に掲載されたものです。 取り壊しまでの経緯 「家」というコミュニティの価値 高木 まず、いつも「赤裸々SESSIOONe」を収録しているここ、「山一」がなくなります。山一はBREIMENの活動場所のひとつでもあったし、俺からすると山一とhamaibaはセットで。 hamaiba もともと2017年1月から祥太と弟の隆太がこの家に住んでいて、僕はその秋くらいに来て。 高木 俺は3年前くらいにこの家を出たから、実質今の家主はhamaibaで。なぜなくなることになったのかをhamaibaから教えてもらいましょうか。 hamaiba 今年の3月くらいに、知らないおじさんがうちへ来て、封筒を渡されて。「この土地一帯が再開発によってなくなることが決まりました」と。「え?」みたいな。もう決まってた。 高木 もう抗えない。 hamaiba そうそう。本当に急、寝耳に水。「8月末で取り壊しになるので出てください」という感じで言われちゃって。大家の判断だからどうしようもなくて。 高木 なのでこの場を借りて弔ってやろうじゃないかというのが今回の「赤裸々SESSIOONe」です。山一がBREIMENの拠点でもあると言ったのは――今年もアルバム『AVEANTIN』の制作が終わったあとにメンバーだけで話そうというタイミングがあって、その時はここで、それこそ赤裸々に話した。そもそも「棒人間」(BREIMENの1stシングル)のミュージックビデオはここで撮ったし、いろんな人が入れ替わり立ち替わり住んだり、居座ったり、遊びに来たり。コロナの時期に書いた「Play time isn’t over」という曲の仮タイトルは「山一ハイツ」だったし、「赤裸々」という曲も、ここで人間関係の問題が起きて、それについてうちのお母さんも交えて夜通し話した時のことを書いたものだったり。2DKで2人で住むのが限界なはずなのに、マックスで4人プラス2人居候してる時期もあったくらい。言い出したらキリがないくらい、ここにいるメンツ(=BREIMENやhamaibaの周りにいる人)は山一を拠点に集まってました。だから「家がなくなる」という感覚ともちょっと違うかもしれない。手塚治虫とかが住んでいた「トキワ荘」は漫画に特化した人たちが同時代に切磋琢磨してた感じだけど、ここはもう少し入り乱れてる感じというか。俺は音楽だし、hamaibaは映像だし、何をやるのかまだ見つかってないやつらもいたし。しかも「切磋琢磨」というよりは「過ごしてた」。 hamaiba 「暮らしてた」。何かを作るためとか、上がっていくために、この場所が作られたわけでもなくて。 高木 そう、目的はなかったね。結果的に曲とかビデオに結びつくところもあったけど、ただ「生きていた」。それが山一です。暇だし、お金もなくて。お金がないってことは、工夫しないと楽しめないじゃん。だからいろんな遊びを作ってた。玄関から入ってきて、その場にあるいろんなものを装飾して名付ける遊びとか……これ、伝わらないよね(笑)。 hamaiba この家にいて面白かったこととか印象的なこと、めっちゃある。 高木 全部聞かせて。 hamaiba まず、家の玄関の鍵はずっと開いてた。 高木 鍵をなくしたんだよね。 hamaiba そう。鍵が開いてるから、本当にいろんな人が来て。今、いつでも来ていい場所とか居ていい場所って、世の中にないんだよ。 高木 起きたら知らんやつがいるとか全然あったし。 hamaiba 社会のどこにも居られない人がここにいる、そういう場所だった。そういった人たちが同じ空間に住んでいたら、楽しいこともあったけど、当然揉めることもあって。「許容」とはどういうことかを知った7年、みたいな感じだった。いろんな人が出たり入ったりして、それぞれ色々あるわけよ。俺も未熟だし、未熟同士が集まっていた感じだったから。でもそこを許したり、ちょっと言ったり、バランスを取りながら「楽しくいる」ということをやってた。 高木 良くも悪くもここで社会が形成されてたから、ここの空気とか価値観みたいなものがあったよね。「飲み屋でよく会う」とかでは作れない何かがあった。「良くも悪くも」って言ったのは、ここは居心地がよすぎたからで。社会に出ると、得意じゃないことも頑張ってどうにか適合しようとやっていくじゃん? この家の環境には多分「頑張らないスイッチ」みたいなものがあって。適合しようとしている状態では心を開き切れないけど、ここでは頑張らない分、心を開かざるを得ない状況になっていたところがあると思う。ここにいたことによって救われてる部分が、俺らにもあったよね。 hamaiba うん、あった。 高木 俺らが「受け入れてる」というわけでもなかったから。俺が最初契約はしたけど、もはや山一という概念に招かれてる側の感じがあった。 hamaiba 本当にいろんな人がここにいて――2DKの狭い空間で一緒に暮らしてると、みんなが何を思ってるのかがわかるんだよね。どういう習性があって、どういうふうに考えていて、ということがわかってくる。だから人の気持ちがわかるように――本当にわかってるのどうかはわからないけど――前よりわかるようになった気がしてる。 高木 俺はここで吐露してた。面と向かってやるコミュニケーションの極みみたいだったから。家だから、化粧して気を張って、という感じじゃないし。ここに呼んじゃえば、壁とかを一旦それなりに剥がせることがよかった。だから逆に、仲良くなりたいなと思う人はここに呼んでたし。人と行うコミュニケーションにおいて、上積みみたいなものを早い段階から取っ払って話せる場所だった。飲み屋で集まるとかじゃなくて、「家」というのが特殊な環境を生み出してたと思う。 hamaiba 居酒屋とかカフェでは話せないことも「家だから話せる」っていうのはあったかもしれないね。 高木 生活に侵食しているコミュニティであったことが、ここの特色なのかな。だからここでの思い出って、8割話してる記憶なんだよね。いや、5割・話、5割・『FIFA』(サッカーゲーム)だ(笑)。ここで話したことが、対人関係のスタンスとか、言語化できないレベルのものでそれぞれの血肉になってる感じがする。俺の曲の書き方を突き詰めると、自分のこともだけど、同じくらい人のことを書いている気がしていて。それはこの家にいたことによって、いろんな人のちょっと知れないところまで知ってる自負があるから。俺、古谷実の漫画が好きなんだけど、その理由は「現実の中にある非現実」を感じるからで、この家にはその要素がある気がする。ここの中では成り立ってるけど、俯瞰で見たらちょっと非現実的な遊びとか価値観があったと思うんだよ。普通に生活していて入り込むことのできない対人の領域に踏み込める瞬間もあった。