“建築大革命前夜”産業技術とモダニズムの時代-日本工業倶楽部会館と團琢磨
しかしこの時代のウィーンで、圧倒的な存在感をもっていたのは、オットー・ワーグナーという建築家である。 ゼツェッシオンの建築家は彼の弟子達が中心で、彼自身は短期間しか入会しなかったが、歴史的、様式的な作品から、次第にモダンな作品に移行し、建築の近代化に大きな足跡を残している。「ゼツェッシオン」の日本語訳は「分離」であり、過去の様式に決別するという意味だから、まさにワーグナー自身の体験であろう。「芸術は必要にのみ従う」と、近代建築の理念を明示し、カールスプラッツ駅、郵便貯金局、シュタインホーフ教会など、「ウィーンをつくった建築家」といってもいい。 一般に、フランク・ロイド・ライト、ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエの三人を近代建築の巨匠とし、場合によりワルター・グロピウスを加えるのであるが、筆者は、オットー・ワーグナー、フランク・ロイド・ライト(長期に活躍したので重複する)、チャールズ・レニ・マッキントッシュの三人を、アーリー・モダニズム(バウハウス以前の、ほどよい装飾が残るモダニズム)の巨匠ととらえている。 建築家の名前が煩瑣で申し訳ないが、ウィーンとワーグナーは、筆者の好みでもあり、建築家を目指す学生にも、建築に興味のある人にも、まずこれを見に行くことを勧めているのだ。要は、このゼツェッシオンの時代以後、世界の建築が大革命を経験し、その主たる流れは、過去の様式からの決別であったということであり、その根底に、鉄を主構造として使うという産業技術の発展があったということである。 石と煉瓦と木の建築が、鉄とガラスとコンクリートの建築に変わっていく。日本工業倶楽部会館も、構造は鉄骨であった。 この会館が竣工した大正9年には、東京帝大の同期卒業生たちによる分離派建築会が結成され、日本におけるモダニズム運動の幕が上がるのであるが、彼らが実作をつくるころには、むしろドイツ表現主義から、バウハウス流の機能主義に近くなっていた。