「お二人でコロコロと笑われて…」 百合子妃と彬子さまの深い絆を物語るエピソード 一方で最期まで心を痛められていた「お身内のあつれき」
「強い信頼関係で結ばれている絆」
一昨年に刊行された伝記『三笠宮崇仁親王』(吉川弘文館)の刊行委員で、百合子妃から11回にわたって聞き取りを行った公益財団法人「政治経済研究所」研究員の舟橋正真氏が言う。 「聞き取り作業では、彬子さまがインタビュアーを務めて下さいました。彬子さまは祖母を『おばあちゃま』と呼んでおられ、百合子さまも『彬子ちゃんから聞かれると、ついあれこれと話してしまうから、余計なことも随分あると思うのよね』と、うれしそうに仰っていました。お二方でやり取りされつつコロコロと笑われるお姿からは、強い信頼関係で結ばれている絆といったものがうかがえました」
“長きにわたるあつれき”
そんなご家族思いの百合子妃が、最期までお心を痛められていた「お身内の問題」がある。それは、亡き寛仁親王の信子妃と、孫であられる彬子さま、そして瑤子さまとの間に生じている“長きにわたるあつれき”に他ならない――。 寛仁親王と信子妃が成婚されたのは80年11月。翌年に彬子さま、その2年後には瑶子さまが誕生された。ことの起こりは、20年前にさかのぼる。 「04年春に更年期障害や胃潰瘍と診断された信子さまは、その年の7月から実家の麻生家が所有する軽井沢の別荘で療養に入られました。2年後にはいったん宮邸に戻られますが、その後も入退院を繰り返され、08年には『ストレス性ぜんそく』との診断で10カ月ほど慶応病院に入院されました。ところが退院後も“症状が再発するおそれがある”との理由で赤坂にはお戻りにならず、千代田区三番町にある宮内庁分庁舎(旧長官公邸)で暮らし始められたのです」(皇室ジャーナリスト)
ご葬儀への出席もかなわず
この間、寛仁親王はストレスで飲酒量が増えるなど、ご体調が悪化。病に苦しまれる父をよそに出て行かれた母と、その父を懸命に支えてこられた二人の女王方との間の溝は、いっそう深まっていったという。 「寛仁さまの薨去に際し、喪主は生前の“遺言”により彬子さまが務められました。ご家族と絶縁状態が続いていた信子さまは、病院へのお見舞いだけでなく、ご葬儀への出席もかなわなかったのです」(前出のジャーナリスト) その後、ご一家を継がれる「当主」を決めるための話し合いも開かれず、1年後にはお三方がそろって本家の三笠宮家に合流。寛仁親王家は廃止されるに至ったのである。 後編【「皇族費は現状の倍額の3050万円に」 信子さまが新たな家を創設なさる可能性も 「彬子さまとのあつれきが表面化するのは必至」】では、今後の三笠宮家の行方について報じてる。 「週刊新潮」2024年11月28日号 掲載
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