「最善か、無か」以外にもあったメルセデス・ベンツ名言集。歴代エンジニアのクルマへのこだわりがハンパありません!
Karl Benz (カール・ベンツ:1844年~1929年)
「私は何よりも情熱を注いでいるものは発明である。その情熱は決して冷めることはない!」 「自動車の発明者」であり、メルセデス・ベンツ生みの親の1人。1844年11月25日に、バーデン大公国ミュールドルフに生まれ、当時の花形職業であった鉄道機関士の父をみて、エンジニアを志す。地元カールスルーエの工業高校で内燃機関を学んだ後、2サイクル・エンジンを完成させる。 そして、カール・ベンツは先述のゴットリーブ・ダイムラーと時を同じくして、1886年に「世界で最初にガソリン・エンジン付きの自動車(3輪車)」を発明したのである。 カール・ベンツもまた、ゴットリーブ・ダイムラーと同じく想像力に富み、将来に向けて信念を抱いた人であり、彼独自のクルマ造りの考えを持っていた。彼は「常に進歩、前進」を押し出していたが、「軽率」を何よりも嫌っていた。ベンツは方針の違うパートナーとは徹底的に議論し、たとえ彼自身の方針の為に商売上、リスクを冒すことになろうと志を曲げるようなことはなかった。テストを100%パスしなかったものを売るなどということは、考慮に値しないことであった。
Bela Barenyi (ベラ・バレニー:1907年~1997年)
「これで完璧。などというものは存在しないのではないかと私は考えている。何故なら、絶えず新しいやり方、新しい解決方法を模索しているからだ!」 メルセデス・ベンツ在籍34年の期間を通じて、「約2500件もの特許」を取得し、さまざまな安全技術を開発。パッシブ・セーフティ(受動的安全)という概念を生み出し、「メルセデス・ベンツ=安全」という評価を確立する。その功績により「ミスター・セーフティ」と呼ばれ、世界の自動車業界から敬われた。 彼にとって、「自動車はまず安全な乗り物」でなければならず、それこそが終始一貫した彼の設計の基本であった。1939年、ダイムラー・ベンツ社に37歳で入社すると同時に、世の中にまだ概念すらなかった「自動車の安全性の研究」に着手し、自動車が人間を傷つけることなど耐え難く、絶えず「エンジンよりも先に人間」をモットーに新しい解決策を考え、数々の安全技術を開発した。 彼は、安全性向上の多大な功績によって、1994年自動車業界で最高の栄誉であるアメリカの「自動車の殿堂」入りを果たしている。