「最善か、無か」以外にもあったメルセデス・ベンツ名言集。歴代エンジニアのクルマへのこだわりがハンパありません!
Hans Werner Aufrecht(ハンス・ヴェルナー・アウフレヒト:1938年~)
「お客様の言葉に注意深く耳を傾け、ご要望を正確に把握する。そしてお客様ひとりひとりの嗜好に合った高い品質のクルマ造りをする為、私どもの専門知識を十分に注ぎ込む!」 「AMG創立者」の中心人物。1967年に彼の兄とエンジニアのErhard Melcher(エルハルト・メルヒャ-)のわずか3人で創業し、アウトレヒトの生まれ故郷であるGroßaspach(グローサスパッハ)のそれぞれの頭文字から「AMG社」となる。 1964年、当時ダイムラー・ベンツ社のエンジン・テスト部門で働いていたアウフレヒトは、ダイムラー・ベンツ社がそれまで続けてきた300SEによるツーリングカーレース選手権への参戦を取りやめることに深い抵抗を覚えた。メルセデス・ベンツがやらないのなら、自分達の手で300SEを戦闘能力のあるクルマに仕上げるため、エンジンのチューニング作業に取り組んだ。 そして、この300SEは、1965年のドイツ・ツーリングカー選手権に参戦。10戦中ポールポジション10回、ラップレコード10回、優勝10回という圧倒的な強さを見せつけたのであった。翌年の1966年には、多くのプライベーター達がアウフレヒトとメルヒャーの所にレース用エンジンを持ち込んだのは言うまでもない。 AMGにとってチームワークこそが、成功をもたらした企業哲学である。特に、1971年ベルギー、スパ・フランコルシャン24時間レースでAMG 300SEL 6.8L(ベース6.3L)でクラス優勝し、総合でも2位に輝いた。このレースで、メルセデス・ベンツの名が1971年にモータースポーツのトップに再び登場した年として語り継がれており、しかもAMG社の力によって成し遂げられた。 AMGはお客様ひとりひとりの違う要望の仕様に仕上げるため、「お客様の言葉に注意深く耳を傾けて正確に把握し、専門知識を生かして高い品質」のクルマを造りあげたのである。 2005年にはAMG社はメルセデス・ベンツの完全子会社となり、2014年からメルセデス・ベンツファミリーに迎えられメルセデスAMGとしてメルセデス・ベンツのサブブランドとなった。ハイパフォーマンスのAMGに搭載されるエンジンは「One man-One engine(1人のマイスターがひとつのエンジンを)」という主義に従い、手作業で丹念に組み上げられている。エンジンの上に輝くマイスターのサインが刻まれたプレートは正に「クラフトマンシップ」の証しである。2000年にハンス・ヴェルナー・アウフレヒトは「ドイツ連邦共和国功労勲章」を受賞している。 * * * メルセデス・ベンツの先駆者達が発した「情熱・信念」によるクルマ造りの伝統は現在も受け継がれ、「メルセデス・ベンツの価値」を守り続けている。これは他のブランドでは真似のできないことである。 メルセデス・ベンツの歴史は自動車の発明に続く「自動車の歴史」そのものであり、常にメルセデス・ベンツが自動車のあるべき姿、つまり「本道」を求め続け、ゴットリーブ・ダイムラーの「最善か無か」というモットーのもとで、自動車を製造し続けてきた。また、衝撃吸収式ボディを初めて採用した180シリーズ(W120)やスーパーカーの元祖とも言える300SLガルウィングクーペ(W198)など、時代を創造し、彩ってきた幾多の名車を世に送り出してきた。 しかし、「本物」とは、過去の栄光にこだわるだけではない。メルセデス・ベンツは今後も、偉大なるメルセデス・ベンツの伝統を絶やすことなく、環境の変化に対応し新たな脱炭素に向けたモビリティを追求し続けているのだ。
妻谷裕二