「性教育はエロいものだと思ってた」──高校生が自分たちで考える「人生の役に立つ授業」【#性教育の現場から】
その頃、学校の体制が変わった。それまで理事長兼校長が決めていたカリキュラムや行事などを、教職員自らが作成するようになったのだ。そこで、性についての総合学習が若者に必要だと、「性と生」を1年生の必修にすることになった。始めるにあたって、フェミニズムの活動家やジェンダー研究者を呼び、2年間にわたり研修を行った。 1996年、6人の担当者が2人1組となり2クラスずつ担当する形で、「性と生」の授業は船出する。水野先生は2年後から、担当に加わった。 「体の名称を言うことにまだ抵抗感があり、なかには1学期の間ずっと『ヴァギナ』や『ペニス』が言えず、『お股』と言っていた先生もいました。初めはやっぱりハードルが高かった。それでもなんとかやりましたよ」 当初は生徒たちも恥ずかしがっていたが、すぐに大事なことだと理解した。それは行動となって表れる。当時、「援助交際」や「ブルセラショップ」が問題になっていた。 「『女子高生の性が乱れている』という報道に対し、生徒たちから『なぜ買う側である男性の問題は扱われていないのか』という疑問が出てきました。『私たちは商品じゃない!』というテーマで文化祭に取り組むクラスもありました」
2003年には共学校となり、「性と生」の授業を男女が共に受けるようになった(現在は「思春期の体の変化」の授業は男女別)。 体の仕組みが中心だった授業内容は、2009年にユネスコ編『国際セクシュアリティ教育ガイダンス(以下、『ガイダンス』)』が出版されたことにより、大きく変化した。『ガイダンス』から学び、2010年代からは人間関係や社会の中の性と生の問題、デートDVなどの性暴力を取り扱い、性の多様性を基盤に据えた「包括的セクシュアリティ教育」を行うようになった。 現在、総合学習「性と生」を担当する教員は男女4人ずつの計8人いる。うち水野先生は非常勤講師として「性と生」のみを教えているが、他に専門の教員がいるわけではない。基本的に有志で、国語や数学といった本来の担当教科と兼任する。授業のほかに週に1度の教科会もあり、負担は軽くない。その分は本来の教科の授業時間数を減らして調整される。