【体験談】憧れの大学、こだわって2月に「6回」受験 家族で合否を確認、結果は…
高校2年の夏には関西大学法学部を第1志望と定め、早くから過去問にも取り組んでいた石川千愛(ちな)さん。入試対策はバッチリのはずだったのですが、入試直前、思いがけないスランプに陥ってしまいました。ピンチをどのように乗り切り、合格をつかんだのでしょうか。 【写真】ボロボロになるまでやりこんだ英単語帳と世界史のノート
――関西大学法学部を目指した理由を教えてください。 高校2年の夏、関西大学のホームページで、同大学の前身である関西法律学校の創設者の一人は司法官の児島惟謙(これかた)だと知りました。明治時代、政府からの圧力に屈せず、「法を人のために使う」という姿勢を貫いた人です。中学の社会科資料集に載っているのを見て以来、正義感に満ちていてかっこいい人だなと思っていたので、「私も法律に関わる仕事に就いて児島惟謙のようになりたい」と、関西大学法学部を目指すことに決めました。 ――高校2年で目標が見つかったのですね。本格的に受験勉強を始めたのはいつ頃でしたか。 高校3年に上がるタイミングです。私は、長期休みには雪山にこもってスキーのジュニアオリンピックに出ていたほど、スキーが大好き。高3になる直前の春休みに、修学旅行でスキーに行ったのですが、これが終わったらしばらくスキーも封印して、「受験モード」に切り替えようと決めていました。受験生にとって「滑る」なんて縁起が悪いし、貴重な時間を勉強以外のことに費やしたら、後悔すると思ったのです。 それまでは、学校の課題も友達のノートを写させてもらうような状態でしたが、受験モードに切り替えてからは心を入れ替え、疑問に思ったことはすぐに塾の先生に質問するようにしました。受験直前の週末には、朝8時半から夜10時ごろまで、塾の自習室で13時間くらい勉強していました。
過去問を解きすぎ?
――受験モードに入ってからの勉強は順調でしたか。 高校3年の早いうちから赤本も解き始め、冬には7~8割は解けるようになっていました。英語、国語、世界史の3科目での受験でしたが、古文と世界史はほぼ仕上がっていて、塾の先生にも「このまま突っ走ったらトップを狙えるんじゃない?」などと期待されるほどでした。 ところが、12月中旬に突然、過去問がなぜか解けなくなってしまったんです。正答率が5割を切ることさえありました。それまで7~8割は取れていたのに、やればやるほど合格最低点にもたどり着けなくなってしまいました。 ――それは焦りましたね。原因は何だったのでしょうか。 過去問をやり過ぎてしまったのかもしれません。というのも、冬休みに入ってからは本番を意識して、毎日、実際の入試の試験時間に合わせて赤本を解くようにしていました。その結果、解けば解くほど「解けないとダメだ」と自分の中でハードルが上がってしまい、自分を追い詰めてしまったのかもしれません。 今でこそそう思いますが、当時はわけがわからず、ただ焦るばかり。同じような経験をした受験生はいないかと、塾のトイレでこっそり「受験前 過去問の点 下がる」などとスマホで検索しては、「結局、点数が上がらないまま本番に突入した」といった悪い話ばかりが目について、不安が増す一方でした。 ところが、1月半ばに塾の先生に話したら、「私にもそんな時期があったよ。でも、志望校に合格したからあなたも大丈夫」と、求めていたような安心できる言葉が返ってきたんです。すると、肩の力が抜けて、嘘のようにスーッと楽になりました。焦りが消えて、冷静になれたのです。おかげで受験当日も、「とりあえず自分の今できることだけをやろう」と落ち着いて迎えられました。