ヨーロッパは自由、平等を米先住民から学んだのに隠した...デヴィッド・グレーバーの遺作『万物の黎明』から受けた「知的なパンチ」
<生命科学研究者が、考古学や人類学などの画期的な研究から生まれた「新しい世界史」を読んでみて、得た気づきとは? WEBアステイオンより>【小埜栄一郎+松田史生】
ともにデヴィッド・グレーバーの『ブルシット・ジョブ』を愛読していた、2人の生命科学研究者がグレーバーの遺作『万物の黎明』を手に取ったのは自然の流れだった...。 【画像】世界各地に出現したモノリス 代謝適応進化を研究する小埜栄一郎(サントリーグローバルイノベーションセンター株式会社主幹研究員)と代謝工学を研究する松田史生(大阪大学大学院情報科学研究科バイオ情報工学専攻教授)という2人の理系研究者が、社会・経済人類学者の本(デヴィッド・ウェングロウとの共著)を読んで得た気づきとは? 研究との共通点、相違点について議論した。 ◇ ◇ ◇ 小埜 『万物の黎明』での主張は目から鱗でした。西洋の啓蒙思想は、「野蛮で愚かな未開人の先住民文化」に対して「西洋文化は高度に成熟した文化」であると意図的に設定することで自分たちの優位性を保っていた。 しかし実際にはその逆で、先住民の洗練された思想によるに西洋批判に対する「バックラッシュ」として西洋の啓蒙思想が生み出されたというのです。 松田 20世紀の先史学者・考古学者であるV・ゴードン・チャイルドが1925年に出した書籍『ヨーロッパ文明の黎明』が、内容的にも『万物の黎明』に影響を与えていると、訳者の酒井隆史氏は本書の解説で指摘しています。「そもそも人間を人間たらしめている自由を再発見できるかどうか」(609頁)という切り口から人類史にアプローチしたのが本書である、と。 まず、ルソーやホッブスの社会理論が説明する、「社会契約を結んだ社会へと進歩した」や「好戦的な存在が卑しい本能を手なずけて社会が生まれた」といった、社会的不平等の起源を批判します。 17世紀のアメリカ大陸では、イエズス会宣教師が先住民の啓蒙を試みていました。しかし、ネイティブ・アメリカンの哲学者カンディアロンクなどから、ヨーロッパ社会は寛大でも親切でもなく、「自明である三つの自由」を実現している先住民社会よりも劣っていると逆に痛烈な批判を受けます。 小埜 今では想像することも困難ですが、カンディアロンクは、①移動し、離脱する自由、②服従しない自由、③社会関係を創造し、変化させる自由が社会の安定化に必要だと唱えたんですよね。 松田 まず、その対話を収録した『イエズス会書簡集』が広くヨーロッパ社会で読まれ、アメリカ先住民の説く自由、平等といった概念が浸透し、フランス革命へとつながったっていったという指摘。さらに、ヨーロッパ側からの反論として上のような起源の神話が形成されたという指摘には驚きます。 ヨーロッパは自由、平等という概念をアメリカ先住民社会から学んでおり、その事実を隠し、アメリカ先住民社会にマウントを取るためにルソーやホッブスの社会理論が作られたというグレーバーの主張は、目から鱗どころか、なにか知的なパンチを喰ったような気がしました。 ■グレーバーの手法と限界 小埜 学問分野や研究者に限らず、人間は物事をシンプルに理解したい動物です。前よりも「知的負荷」が軽減されると「分かった」となります。 人類史もそうですが、我々の専門である生物学でも、知り得た知識を持ってしか現象の因果を説明できません。ですから、説明の精度は知識の量に制約を受けてしまいます。これまで語られなかった例外を集めて定説を覆す新しいストーリーを紡ぐというのはフレッシュな視点を与えてくれます。 本書で取り上げられた先住民社会の事例が、どれほど世界全体を反映しているのか、定量的なことは分かりませんが、少なくとも例外として片付けられない説得力がありました。 松田さんは人文学のケーススタディーの頻度や信頼性についてどのように感じておられますか? 松田 自然科学の歴史とは、いろいろな現象を統一的に説明するシンプルな理論体系が構築され、万物の理論となることが期待されます。しかし、やがて説明しきれない現象が見つかり、無視できないくらいの証拠が積みあがると、新しい理論体系が再構築される、というパターンの繰り返しです。 「例外として無視できないくらいの証拠」というのは、学問の作法にのっとり、検証可能な形で提出され解釈されたものであり、自然科学でも考古学でも同じです。なので、本書で提出される考古学的資料の取り扱いにも違和感はありませんでした。 小埜 再現性を強く要求される自然科学分野と、その困難さから再現性を強く要求されない歴史分野にも共通点があります。 松田 自然科学でも人文・社会科学でも、理論とは、現状の知見をもとに構築された仮説にすぎず、いつか反証されて新たなより包括的な理論に至る、捨て石の一つとなることが期待されています。 しかし理論や仮説には、それを作った人類、または西洋社会、あるいは白人や男性といったカテゴリーの人たちが持つ無意識の願望や欲望が反映されがちです。さらに、理論や仮説のわかりやすさと心地よさに安住すると、捨て石の一つである、という謙虚さが失われてしまいますよね。 ですので、グレーバーのように「われわれが見ている世界には、自分たちの無意識の願望や欲望のバイアスがかかっており、われわれはそれに気づかないまま集団的に多くのものを見落としている。では、われわれが見落としているものとは何か? 無意識の願望とは何か?」という問い立ては必要です。 小埜 恣意的なバイアスに加え、無意識の偏向を問う、これは重要な視点ですね。 松田 しかし、もし本書に1つケチをつけるとすると、図版や説明資料の少なさです。とくに自然科学系の論文では、理解を助ける図表が大事です。図がメインで文章がその補足ということも少なくありません。 一方、『万物の黎明』は、世界中の先史時代の遺跡を1万年以上のスパンでわたり歩くにもかかわらず、取り上げたすべての遺跡の年代や位置を示した年表や世界地図などがなく、今一つイメージしにくいと感じました。 小埜 グラフや図に語らせることに拘りがないですね。これは自然科学系と人文学系の作法の違いかもしれません。 松田 例えば、158ページにでてくる紀元前1600年頃にネイティブ・アメリカンが建造した「ポヴァティ・ポイント(poverty point)」という遺跡は、Google Mapで調べると草原に作られた同心円上の構造であることがわかり、さらにストリートビューで遺跡の中を歩くことができます。 また、同じ頃にクレタ島にあったミノア文明では成人女性による支配システムがあったようなのですが、Googleで調べると出てくる当時の少年のフレスコ画を見ると一目でなるほどと思ってしまいます。 小埜 多くの図版や写真が掲載された図解版はニーズが高いのではないでしょうか。デジタルではなく、書棚から飛び出すような、重厚で内実共に規格外の画集・図録があるといいです。 松田> 訳者の酒井氏による本書の解説本『グレーバー+ウェングロウ『万物の黎明』を読む』(河出書房新社)も楽しみですが、「万物の黎明フォトブック」のような写真と図表をまとめた副読本も出てくると嬉しいですね。