なぜ中国で児童の無差別殺傷事件が相次ぐのか…100年前に魯迅が発していた「警告の中身」
弱者である子供たちを捌け口に
しかし、上述したように作家の魯迅は今から98年前の時点ですでに「意気地のない臆病者の性向として、欲求不満の捌け口を弱者である子供たちに求める」傾向があると断言していた訳で、すでに述べた過去から現在までの事件例を見れば、それが偶発的に発生しているものとはいえないのではないか。 日本でも、2001年6月8日午前10時頃に大阪府池田市所在の大阪教育大学教育学部附属池田小学校に出刃包丁を持った男(宅間守、犯行当時37歳、2004年に死刑執行済み)が侵入して児童8人を刺殺し、児童と教職員15人に重軽傷を負わせた事件(附属池田小事件)や、2019年5月28日午前7時45分頃に神奈川県川崎市の登戸駅付近の路上で学園のスクールバスを待っていた小学生や保護者が近づいてきた男(当時51歳、犯行後に自害)に2本の柳葉包丁で刺され、女児1人と保護者1人が死亡し、18人が重軽傷を負った事件(川崎市登戸通り魔事件)が発生している。 但し、日本ではこの種の児童を標的とする無差別殺傷事件はほとんど発生していないのが実情であり、上記2件は例外中の例外と断言できる特殊な事件であり、正に中国政府が責任の所在を曖昧なものとするべく慣用的に使う「偶発的発生」と言えるものであり、中国のように頻発はしていないのである。
無差別殺傷「献忠事件」
ところで、10月1日は中国の国慶節で、今年は10月7日まで1週間の法定休日であった。その国慶節の前日、9月30日の午後9時47分に上海市松江区にあるスーパーマーケット「ウォールマート」の店舗内で、両手に刃物を持った男(林某某、37歳、無職)が手当たり次第に客を刺して回る無差別殺傷事件が発生し、死者3人、重軽傷者15人を出した。 犯人の林某某は工事現場で働いた賃金3万元(約60万円)の支払いを雇用主に求めて2015年から今年までの約10年間も交渉を続けたが、らちが明かないばかりか、終には困窮して浮浪者生活を余儀なくされ、理不尽な社会に報復すべく犯行に及んだようである。 中国ではこの種の社会に対する不満の解消を縁もゆかりもない他人に報復する無差別殺傷事件が頻発している。このため、2021年頃から社会に対し無差別報復を意味する「献忠」という言葉がネットで流行するようになったことから、世論が無差別殺傷事件を「献忠事件」と呼ぶようになった。「献忠」とは明朝末期の農民反乱の指導者の一人である「張献忠」を指す。彼は戦いに負けて逃げ込んだ四川省で生来の残虐性を発揮し、反乱を多発する四川人に対して無差別に殺戮の限りを尽くし、四川省に大幅な人口減をもたらしたとされる。 上述した小中学生や幼稚園児を標的とした無差別殺傷事件も「献忠事件」に含めて良いように思えるが、本質的な違いは魯迅が述べているように「欲求不満の捌け口を弱者である子供たちに求める」か否かである。「献忠事件」は欲求不満の捌け口を一般大衆に求めている。 筆者は本記事で言及した事件の犯人毎にその「性別、年齢、職業」を敢えて記載した。これらの記述を総合的に見れば、犯人は40歳以上であり、その職業の大半は無職であることが分かるはずである。即ち、これは小中学生や幼稚園児を標的とした無差別殺傷事件と一般大衆を標的とした「献忠事件」に共通する基本条件と言えるのではなかろうか。いずれにせよ、子供を標的とした無差別殺傷事件も一般大衆を標的とした「献忠事件」も、犯人の動機は自身の欲求不満を解消するために、社会に報復することを目的としたもので、特定の人物を対象としたものではなく、不幸な犠牲者を場当たり的に選定したに過ぎないのだ。 中国には反日の風潮が濃厚に存在していることは事実だが、文頭に述べた日本人学校の生徒を標的とした2件の無差別殺傷事件の原因が本当に反日に根差したものだとは断言できないように思える。上述したように、同様に子供を標的とした無差別殺傷事件は中国国内で長年に亘って頻発しているのが実態であり、その歴史は98年前の魯迅が「雑感」を執筆した時代にまで遡れるのである。
北村 豊(中国鑑測家・元中央大学政策文化総合研究所客員研究員)