他人を羨んでばかりいる親が、子どもの成長に与える悪影響
「親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる」…詩、「子は親の鏡」の一文です。 【画像】「子は親の鏡」作者のドロシー・ロー・ノルト博士(2005年) 人と自分を比べることは自然な事ですが、常に人をうらやんだり、嫉妬をしたりしながら生きていく毎日は、決して幸せなものではないはず。 そして、親のそのような姿勢は、子どもの人生にも大きな影響を与えてしまうかもしれません。 世界各国で愛読された子育て書『子どもが育つ魔法の言葉』より、著者ドロシー・ロー・ノルトさんの子育てのアドバイスを抜粋してお届けします。 ※本稿は、ドロシー・ロー・ノルト著、レイチャル・ハリス著、石井千春訳『子どもが育つ魔法の言葉』(PHP研究所)から一部抜粋・編集したものです。
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
嫉妬は、英語では「緑色の目をする」と比喩的に表現されます。まさに、そのとおりだと言えるでしょう。嫉妬は、わたしたちがどんな目で他人や物事を見るかによって生まれる感情です。嫉妬深い目には、隣の芝生は青く見え、他人の車は上等に、家は立派に見えます。本当は、自分の庭の芝生は青く、車も家も申し分ないとしてもです。 世の中には、確かに、自分より恵まれている人は大勢います。しかし、自分より恵まれない人も大勢いるのです。この事実のどちらに目を向けるか、それは、わたしたち次第です。もし、親がいつも自分と他人とを引き比べて不満に思い、他人を羨んでばかりいたらどうでしょうか。子どもも、そんな親の影響を受けてしまいます。わたしたちは、子どものためにも、緑色の目の怪物にならないように心がけるべきなのです。子どもが、己の幸福を幸福とし、他人を妬んだり嫉んだりすることがないように、親は教えなくてはなりません。
隣の芝生は青く見える
そもそも、他人と自分とを比べること自体は避けられないことです。実際、自他を比較することなく生きるのは不可能です。自他の違いを認識してこそ、物事を見る目が養われるのです。子どもも、自他の違いに気づくことから、批判能力を育ててゆきます。問題なのは、違いを認めた後、わたしたちがどう思うかなのです。人を羨み、嫉妬してしまうか、そうはならないか、ということなのです。 ある日、庭で子どもたちは遊び、お母さんは土をいじっていました。そこへお父さんが運転するぴかぴかの新車がバックで入ってきました。お母さんはこの色がいいと思っていましたし、子どもたちも大喜びです。新車を買うのは初めてで、本当にすごいことです。お父さんは嬉しくてしかたがありません。 みんな喜んで車の手入れをしました。夏の間、子どもたちは洗車を手伝いました。車に乗るときには、座席を汚さないように靴を脱ぎ、車の中では物を食べないようにしました。 その年の秋、近所の人が、もっとかっこいい新型モデルを買いました。それもお父さんの車よりも安い値段で手に入れたのです。それを知ったお父さんは、顔を曇らせて言いました。 「うちも、あの車にすればよかった。あと2、3カ月待っていれば、あれが買えたのに」 お母さんは、慰めて言いました。 「いいじゃないの。みんな、うちの車が気に入ってるんだから」 でも、お父さんは、機嫌を直しませんでした。そして、お母さんには車のことは分からないと言いました。子どもたちは、事情がよく飲み込めませんでしたが、お父さんがもうあまり車を大切にしなくなったのは分かりました。近所の人の新車が車庫から出てくるのを見かけると、お父さんはいつも羨ましそうな顔でじっと見ています。そんなお父さんの気持ちが伝染し、いつの間にか、子どもたちも、うちの車に興味を失い、どうでもいいと思うようになってしまいました。座席でお菓子を食べて粉を散らかしても、もう平気です。車は薄汚れ、本当につまらない車になってしまいました。 お父さんは、自分がいやな気持ちになっただけでなく、家族全員の気持ちも白けさせてしまったのです。そして、お父さんの態度から、娘たちが学んでしまったことはこういうことでした。価値のある物とは、人に見せびらかすことができる物なのだ――。これは、できれば子どもたちには教えたくない価値観です。 自分と他人とを比べても、相手のよさやすばらしさを素直に認めることもできるはずです。お父さんも、近所の人の好運を妬まず、その車をいい車だと素直に認めることができればよかったのです。