42歳で乳がん宣告された私。抗がん剤で抜けた髪が生えてきてギョッ!鏡を見るとそこにいたのは
「人って死ぬんだ」と本当の意味で実感した
そして、乳がんの治療も「生きるため」に取り組んだこと。乳がんを患ったときは確実に「死」を身近に感じました。みんな寿命が来たら確実に死ぬのに、それでも自分が死ぬことを実感するってなかなかできないと思います。けれど乳がんと診断されたとき「ああ、このまま放っておいたら死ぬんだ、わたし。人って本当に死ぬんだな」と思ったのです。 リアルに死を感じたことで、生きていることの貴重さがわかりました。治療中にメンタルをやられ「生きていることがつらい」と闇をさまよっていた期間は、「せっかく治療をして生かしてもらっているのに」と、自分の中の矛盾を責め、罪悪感もありました。 だからこそ、動けるようになってきたときに「これからの人生は思い切り楽しんで生きよう」と誓いました。美味しいものを思い切り味わって、やりたいことを思い切りやろう。自分が思い描いていることを叶えるために思い切り頑張って、どこまで叶うかやってみよう、とどんどん意欲的になっていきました。 やっとごはんを美味しく感じられるようになったのだから、家でも美味しいごはんを食べようと、あれこれレシピを試して料理をしはじめました。闘病で減った10キロを取り戻すどころか上げ止まらず。元の体重を通り過ぎてグングン増加してきました。定期検査で先生に「太りすぎはがんのリスクだから気を付けて!」と言われる始末。 けれど、先生もわたしの不調は見ていたので「先生、ご飯がおいしくなったんです!」と伝えると「それは本当によかったね」と喜んでくれました。
美容室へ行き、ウィッグを卒業。お話会を自主開催
少し元気になり、髪も伸びてウィッグからも卒業しました。伸びた髪を美容室でカットし、人生初のベリーショートに。久しぶりにウィッグなしで外に出て、頭も気分もスッキリ。毎日のウィッグで慣れてはいましたが、やはり締め付けや暑苦しさから解放されると全然気分が違います。わたしの場合はもともとの毛量が多く太かったのでぐんぐん髪が生えてきて、抗がん剤終了後、半年くらいでウィッグを卒業できました。 髪の毛だけでなく、眉毛やまつ毛も知らず知らぬに抜け落ちていたのが、少しずつ戻ってきました。腕や足の毛も抜けていたのでなんだかヌルヌルしていたのですが、気づけば元通りの体毛も生え、顔の血色も良くなってきました。 このころ、自分が経験したあれこれを新鮮なうちに誰かに伝えようと思い「乳がんお話会」を自主開催しました。お話会に来てくれた方は健康に意識の高い方や、女性の生徒さんが多い教室主宰の方。知り合いや生徒さんにも乳がんの話を伝えてくださるとのことで、わたしの経験が少しでも誰かの役に立てばと思っていたので、わたしの話を聞きに集まってくれたことは大きな喜びでもありました。 この連載に書いたような、病気に直接関係ないプライベートなことには触れませんでしたが、乳がんを見つけた経緯、病院を選んだ基準、乳がんの種類や手術の方法、術後の肌着事情。また、抗がん剤の副作用や抗がん剤を打ちながらの生活、ウィッグについてなども伝えました。 また、病院で知り合った方の中では健康診断で見つかった方も多かったので、がん検診は確実に受けたほうが良いともお伝えしました。乳がんは特に「比較的見つけやすいがん」だと思います。見つかりにくい内臓のがんなどは、早く見つけたくても見つからないものが多い中、乳がんは触診やエコー、マンモグラフィなどで見つけやすい。そして早期発見であればあるほど、治療も軽く済む傾向にあると思います。 わたしは脇のリンパに転移が見つかったので抗がん剤も勧められましたが、もっと軽ければ部分切除で抗がん剤なし、というパターンの治療の方もいます。もちろん個人差やがんのタイプによっても違いますが、やはり早期発見は大事だなと感じました。 わたしがあまり病気を隠さずオープンだったので、相談を受けたりもしました。「友人にがんが見つかったのだけれど、どう接したらいいか」「なにがしてあげられるか」などをがん経験者の視点から聞きたいという方はけっこう多く、その方たちには私が持つ情報や体験談を余すところなくお伝えしました。