評価された〝リーダーシップ〟なのに…1年後「ありすぎ」 能力とは何か
コミュ力が大事、人間力を育てよう、リスキリングで生き残りを――。ちまたにあふれる「能力」にまつわる言葉たち。踊らされ、振り回されがちですが、組織開発コンサルタントの勅使川原真衣さんは「個人の能力はまやかし/まぼろしだ」と話します。どういうことなのでしょうか。(デジタル企画報道部・寺崎省子) 【マンガ】在宅勤務で向き合った、仕事の本質 「私の仕事って不要不急…」
社会は「他者との関係性」の能力重視
教育現場や社会の「あたりまえ」を疑い、社会制度や一人ひとりの経験が教育やその成果に与える影響を追究する教育社会学。勅使川原さんは大学院で教育社会学を学びました。 教育には、社会に人材を送り出す「労働のための準備」という意味があるけれど「労働の本当のリアルな場面をよく理解していない」――。 そんな思いから、「敵地視察」と称して、「『能力』を商品化し売りまくる」 能力・人材開発業界へ身を投じました。 「学歴偏重」批判を経て、社会が個人に求める「能力」は「人間力」「コミュ力」「生きる力」のような「他者との関係性も重視するかのような」ものが目立つようになったと、勅使川原さんはいいます。
能力、「選ぶ側」が定義 退化では
より良く、進化してきたかのようですが、ある企業のサマーインターンシップの選考を手伝ったとき、こんな採用担当責任者のことばを耳にします。 「おいおい、この子、落とすところだったよー。プラチナ住所、気づかなかった? ダメだよこういうのをちゃんと見なきゃ」 「『カルチャーフィット(企業文化との親和性)』が弱いんだ。あと、なんていうか、『チャーム』がない。育ててあげたい、って思えないのは致命的」 「選ぶ側」の都合によって「能力」の範囲も定義も変えられてしまう様に「進化どころか2歩下がっていやしないだろうか」と、疑問を投げかけます。 (参照:朝日新聞デジタル「プラチナ住所、かわいげ、相性も? 選ぶ側の都合で変わる『能力」』https://www.asahi.com/articles/ASR7L3T6TR7GULLI00H.html) 「リスキリング」については、日本ではDX(デジタルトランスフォーメーション)の流れで、「生き残り」という言葉としばしば抱き合わせで使われる現状に疑問を投げかけます。 本来的にはその主体はあくまでも企業なのに、「日本版」では、あたかも労働者の会社での生き残りかのように危機感をあおるような状況が散見されると指摘します。 (参照:日本流「リスキリング」浸透しないわけ 新たな能力求めた先の議論を https://www.asahi.com/articles/ASRCC3RD8RCBULLI00G.html)