第1回WASJの覇者“マジックマン” 18年にはK.デザーモ騎手の最速記録塗り替えも
JRAの短期免許第1号となったL.クロップ騎手が、1994年6月25日にJRAで初騎乗してから、今年でちょうど30年となる。これまでにのべ70人以上の名手が海の向こうから来日し、日本の競馬を盛り上げてきた。そんな短期免許を取得したジョッキーたちの軌跡とは。J.モレイラ騎手は“マジックマン”の愛称で知られ、すっかりお馴染みの名ジョッキーである。 【写真】ステレンボッシュこれまでの軌跡 モレイラ騎手は83年9月26日、ブラジル南部パラナ州クリチバ出身。家族に競馬関係者は居なかったが、競馬場で目の当たりにした馬の美しさ、レースの激しさに感銘を受け、幼少期から騎手を志す。00年から騎乗を開始し、サンパウロ地区を中心に1000勝以上。その後はさらなる活躍の場を求め、フランス、シンガポールと拠点を移す。シンガポールで人気薄の馬を勝たせた際、実況アナウンサーが発した「彼の騎乗はマジックというほかない」といったニュアンスの言葉から端を発し、13年9月に騎乗機会全勝となる一日8勝を記録すると、“マジックマン”の愛称は一気に定着した。 同年10月からは香港に移籍。14年の安田記念でグロリアスデイズ(Glorious Days)に騎乗するため来日したが、6戦して2着が最高だった。インパクトを残したのは、15年の第1回ワールドオールスタージョッキーズ(以下、WASJ)である。初日の1レース、4レースで騎乗機会連勝を飾ると、WASJ本戦は4戦して2勝、2着1回でまとめて優勝。土日計20鞍のうち7勝、2着4回、3着1回と圧倒的な存在感を示し、ファンの中でモレイラ旋風が巻き起こった。 関係者からの信頼も得て、16年にはチャンピオンズM(香G1)でモーリス、香港ヴァーズ(香G1)でサトノクラウンを勝利に導いたほか、同年夏にはJRAの短期免許を初取得。札幌競馬で騎乗機会7連勝を飾るなど、53戦で17勝、2着12回、3着7回。率に直すと、勝率32.1%、連対率54.7%、複勝率67.9%の暴れっぷりで、人びとは彼の“マジック”に酔いしれた。以降もたびたび来日し、18年にはJRA通算100勝。これはK.デザーモ騎手が持つ最速記録(460戦)を大幅に塗り替え、わずか294戦での達成だった。また同年にはリスグラシューとのコンビでエリザベス女王杯を制すなど、日本でも不動の地位を築いた。 コロナ禍などもあり、JRAでの騎乗はしばらく無かったが、昨年のフェブラリーSにカナダのシャールズスパイト(Shirl's Speight)と参戦。さらに同年秋、今年の春と立て続けに短期免許を取得すると、桜花賞をステレンボッシュとのコンビで制すなど、数多くの重賞タイトルを手にした。直近では今週末のWASJには6回目の出場。同シリーズ2度目の優勝なるかに注目が集まる。