スペイン王室が危機!? 君主制度存続への険しい道を専門家が解説
父親をとるか、王冠をとるか、の選択
フアン・カルロス前国王の跡を継いだフェリペ国王は王室をスリム化し、自身とレティシア妃をスキャンダルの解毒剤として位置づけした。このときカップルは個人的な犠牲も払った。作家でエル・ムンド紙元編集長のダビド・ヒメネスは「スキャンダルで家族は崩壊し、フェリペは父親か王室制度かの選択を迫られました。そして彼は王室を選んだのです」と語る。 写真/39年間在位した国王フアン・カルロス1世と1977年のフェリペ王子。 親子の絆は強かった。
レティシア妃に降りかかった最大のスキャンダル
昨年から王室を悩ませている新たな主張は、王妃自身が標的にされていることもあり、非常に扇動的だ。スキャンダルの中心にいるハイメ・デル・ブルゴは、政治家の息子であり、19世紀にブルボン王朝の分家のスペイン王位継承権を求めて結成されたカルリスタ運動の著名な活動家、ハイメ・デル・ブルゴ・トーレスの孫だ。 昨年11月、フアン・カルロスへの忠誠で知られる92歳の新聞コラムニスト、ハイメ・ペニャフィエルが『Letizia y Yo (レティシアと僕)』を出版した。この本の中で、ロンドン在住で54歳になる起業家デル・ブルゴは、彼とレティシアは1990年代にベニスへの旅行中に恋に落ちたと語った。デル・ブルゴがプロポーズを考えていたときに、彼女は謎めいた "外交官 "と交際しており、新しい交際は彼女のキャリアを終わらせることになると告げたという。 この本によると、デル・ブルゴはこの時、自分のライバルがフェリペであると勘づいた。 写真/『Letizia y Yo (レティシアと僕)』
不貞行為はレティシア妃の結婚後も続いていたと主張
デル・ブルゴはレティシアとの関係は裏で続いていたと主張する。彼は、王室の結婚式の前夜にもレティシアに会ったという。「彼女は私の手を握り、なぜ今までプロポーズしなかったのかと尋ねました。もちろん、私は返事をしませんでした。私はできる限り彼女を励ましました。レストランで別れを告げる前、彼女は最後に『私から離れないで』と言いました」 デル・ブルゴは、レティシアとの関係は結婚後も続き、一時は一緒にスペインから米国へ逃亡する計画さえあったと語っている。彼は自分の話を裏付ける写真やテキストメッセージを持っているが、それらはいずれも非公開のままにしているという。スペイン王室はこの件についてコメントを拒否している。 写真/ハイメ・デル・ブルゴ。