泥沼裁判状態のアラン・ドロン、家庭内暴力を繰り返してきた過去とは?
「息子よ、お前は男になるのだ」
アントニー・ドロンは、父親を手本として育ったため、時に自分も不適切な行動をとってしまったかもしれないと告白している。父親はヒーローであると同時に恐ろしい存在だった。2022年、アントニーは日曜日夜のテレビ番組『20h30 le dimanche』のゲストに招かれ、司会のローラン・ドラウッスに、ミレイユ・ダルクとの思い出を語った。1968年から1983年まで父親と交際していた女優に少年のアントニーを預け、アラン・ドロンが撮影に出かけた時のことだ。アントニーはミレイユ・ダルクに、「お前は出て行け」と言い放ってしまったことがあったそうだ。「自分はこの家の"男"だ。だから彼女を追い出す権利がある」と思い込んでいたことをアントニーは告白した。 ミレイユ・ダルクとアラン・ドロンの関係については、彼が彼女のためにドーシーに家を建てたこと、しかしながら最終的にそこに一緒に住んだのはロザリー・ファン・ブレーメンだったということ以外、あまり知られていない。いずれにせよ、ミレイユ・ダルクは父親の怒りから「何度も小さなアントニーを守ってくれた」ようだ。金髪のボブヘアの女優は、アラン・ドロンが目覚めた時に息子を目にするのを「嫌がった」ため、よく午前中、"タンティーノ"の愛称で呼んでいたアントニーを散歩に誘った。 厳しいしつけは後年、アントニーよりも30歳若い異母弟、次男のアラン=ファビアンに対してもおこなわれた。2013年、アラン=ファビアンは「ヴァニティ・フェア・イタリア」誌に対してアラン・ドロンが母ロザリーに肋骨8本を折る怪我を負わせた話と共に父がいかに残忍だったかを語っている。「アラン・ドロンは母に暴力を振るっただけではない。兄のアントニーと私は彼がいかに残酷になれるかをよくわかっていた。ある日、私はこっそり父のバイクを拝借した。ところが不運にも事故ってしまった。膝と右足指を全部骨折し、足を引きずりながら痛みにパニックになっている私を見て、父は棒で私を殴った。別な機会には、私が何もしていなくても、虫のいどころが悪いだけで怒りを爆発させられたこともあった」 だから、アラン・ドロンとつきあった女性や息子たちは誰もがアラン・ドロンの怒りを体験し、トラウマを抱えていた。娘のアヌーシュカだけは違うかもしれない。実際、アラン・ドロンはなぜか娘だけはとても可愛がった。他の人はもしかしたらそのために恨みをさらに募らせたかもしれないが。
text: Léa Mabilon (madame.lefigaro.fr)