泥沼裁判状態のアラン・ドロン、家庭内暴力を繰り返してきた過去とは?
刻み込まれたトラウマ
1935年、パリ近郊のソーに生まれたアラン・ドロンは両親の離婚後、わずか4歳で里子に出された。実の父親は出兵し、母親には十分な稼ぎがなかった。ドキュメンタリー『Alain Delon: Une vie, un destin et un héritage contesté(アラン・ドロンの人生、運命、そして争われる遺産)』の中で、「パリ・マッチ」誌の編集長カトリーヌ・シュワブは、「彼にとって、それは挫折であり、そのトラウマは彼の中に刻み込まれた」と語っている。アラン・ドロンの里親はフレンヌ刑務所の看守で、刑務所に隣接する宿舎に住んでいた。養父はアラン・ドロンをよく仕事場に連れて行き、他の看守の子どもたちと遊ばせた。ドキュメンタリーが語るように、彼はそこで殴り合いの喧嘩や罵り合いを学んだのだ。 里親のもとで6年間過ごしたのち、アラン・ドロンは再婚した母親に引き取られる。再婚相手のポール・ブローニュとの間には娘が生まれていた。「アラン・ドロンは余計な子どもであり、結果的に他の子どもに嫉妬するようになった」とジャーナリストのジャン=リュック・ジュネストはドキュメンタリーの中で語っている。そして「母親はアランをミッション系の寄宿学校に入れた。そこでは体罰がおこなわれていた。それもひどい体験だった。こうしてこの子は恐怖と暴力の中で育つことになる」と続けた。同父異母弟のジャン=フランソワは11歳年上の兄、アラン・ドロンについて2021年に「シュノック」誌に思い出を語っている。「殴り合いの喧嘩」が好きで「陽気さのかけらもなく、狂犬のようだった」と振り返り、兄は「(歓楽街の)ピガールで娼婦や、やくざな連中とつきあいがあった。ほとんどチンピラに近かった」と語っている。 アラン・ドロンの子どもたちも同じように暴力的な環境で育った。俳優の長男、アントニー・ドロンは現在59歳。2022年、自伝『Entre chien et loups(原題訳:犬と狼の間)』(Cherche Midi刊)を発表し、子どもの頃の体験を語っている。10歳のとき、いとこたちがドーシーに遊びにきた。アントニーは食卓でふざけてしまった。「フォークを口に運ぶんだ、その逆じゃない」と父アランは怒り、「自分の部屋に行け」と怒鳴りつけると革の鞭を持ちだした。「私は犬でも鞭で叩いたりしない」とアントニーはその話を締めくくった。