泥沼裁判状態のアラン・ドロン、家庭内暴力を繰り返してきた過去とは?
華麗なるチンピラ
アラン・ドロンの女性とのつきあい方は、若い頃から普通ではなかった。最初はフランスのモテ男の代表的存在、男らしさとロマンスの象徴とみなされた。ロミー・シュナイダーやミレイユ・ダルクとの恋愛が美化され、ダークな側面は闇に秘められた。彼が俳優として人気絶頂だった1950年代から1960年代にかけては、まだ家父長制度が健在で男尊女卑が根強い時代だった。作家で映画監督のベルナール=アンリ・レヴィは2019年制作のアルテテレビ局のドキュメンタリー『Alain Delon, l'ombre au tableau(現代訳:アラン・ドロン、一点の曇り)』で次のようにアラン・ドロンを描写している。「アラン・ドロンはよく、もっとひどい人生になっていたかもしれないと語っていた。そして、何人かの心の広い素晴らしい女性たちと出会っていなかったら、悪の道に走っていたかもしれない、とも」。この発言からは、アラン・ドロンをめぐる女性たちがどのような存在だったのかがうかがい知れる。ギリシャの神殿を柱として支えるカリアティードの娘のごとく、俳優アラン・ドロンを支える存在だったのだろう。このドキュメンタリーの1年前の2018年、アラン・ドロンはフランスのテレビ局「フランス2」の番組「Thé ou Café(テ・ウー・カフェ)」でキャスターのカトリーヌ・セイラックから「あなたはつきあった相手にひどい態度を取ったことはありますか。つまり、マッチョな態度を取ったことは?」と質問され、率直に答えている「平手打ちはマッチョと見なされる? もしそうなら自分はマッチョだったね」 唯一、正式に結婚した妻であり、長男のアントニーの母であるナタリー・ドロンはかつて「リベラシオン」紙の取材に、「私たちは笑い、怒り、合間に愛しあった」と語っている。ふたりが結婚していたのは1964年から1969年にかけての5年間だ。どんな結婚生活だったか想像がつく。1965年、アラン・カヴァリエによるショートフィルムでふたりは互いのことをそれぞれ語っている。ナタリー・ドロンはアラン・ドロンとの最初の出会いを次のように語った。「最悪の出会いだった。彼はとても失礼だったわ。実のところ、私のバッグの上に座っていたから、自分の荷物を取りたいのでほんの少しの間立っていただけませんかと丁寧に頼んだ。そうしたら"バッグを取ったら。あんたのバッグに興味ないし"ですって」。一方、ブリジット・バルドーはBFMTVに、「彼は最高にも最低にもなれる男よ」と語っている。