かつて率いた母校に敗戦 東海大甲府・村中監督 選抜高校野球
第93回選抜高校野球大会第2日の20日、東海大甲府(山梨)と東海大相模(神奈川)によるセンバツでは初、甲子園大会では1983年夏以来2度目の「東海大対決」が実現した。甲府の村中秀人監督(62)にとって相模は母校であり、88~99年に監督を務めた特別な学校だ。監督時代には門馬敬治・相模監督(51)がコーチを務めており、「師弟対決」ともなった。 【白熱の試合の様子を写真特集で】 「運命のいたずらってあるんですね」。2月23日の組み合わせ抽選で初戦の対戦相手が相模に決まった後、村中監督は報道陣に笑顔で語った。高校時代、相模の左腕エースとして原辰徳・現プロ野球巨人監督らとともに75年のセンバツで準優勝するなど、甲子園に春夏計4回出場。東海大を経て、社会人野球のプリンスホテルでは野手として活躍し主将も務めた。 その後、88年に相模の監督に就任した。しかし、「最初の2年は全く勝てなかった」と話す。勝てない原因を考える中、たどり着いた答えは選手と同じ目線に立つことだった。豊富な野球経験から選手がミスをすれば「こんなこともできないのか」と叱責していた。そこで方針転換を図り、「エラーしても積極的なプレーだったら怒らないようにした」。萎縮していた選手たちが伸び伸びプレーするようになり、就任4年目の92年には17年ぶりのセンバツ出場を果たし、準優勝する。 門馬監督が東海大コーチを経て、相模のコーチに着任したのは96年。村中監督が甲府に移るまでの3年間、2人は監督とコーチの間柄で共に選手の育成に励んだ。村中監督は寮生活など日ごろの行いがプレーに反映されると説き、人間形成を重視する指導法を門馬監督に伝えた。村中監督が甲府に移ったのを機に門馬監督が監督に就任。その後も指導法について意見交換したり、相談を受けたりすることもあったという。 「こんなことは一生に一度。自分が率いた学校と甲子園で対戦できることは感慨深いが、私情は一切捨てて戦いたい」と臨んだ古巣との対決。甲府が相模に2―1で逆転サヨナラ勝ちした昨秋の関東大会準々決勝と同様、緊迫した投手戦となり1―1のまま延長戦に突入。先発のエース若山恵斗投手(3年)が力投を続けたが延長十一回に捕まり1―3で敗れた。 試合後、村中監督は「何とも言えない気持ち。(自分の因縁よりも)チームを勝たせてあげないといけないと思い、相手を意識せずに戦った。投手やバッターの癖など(を研究し)対策を練りながらやってきたが……」と声を落とした。しかし、相手の先発がエースの左腕ではなく昨秋ベンチ外だった背番号18の右腕と意表を突かれたことに「門馬君ならやりかねないなと思った」とニヤリ。「弟子」の采配をたたえると、夏に向けては「山梨に持ち帰って考えたい」と語り、甲子園を後にした。【金子昇太】 ◇全31試合を動画中継 公式サイト「センバツLIVE!」では、大会期間中、全31試合を中継します(https://mainichi.jp/koshien/senbatsu/2021)。また、「スポーツナビ」(https://baseball.yahoo.co.jp/senbatsu/)でも展開します。