森永卓郎が経験した相続地獄と最大の失態とは? 期限の10ヶ月ではとても間に合わない遺産相続の信じ難い壁
私が犯した最大の失態
相続地獄の話に戻ろう。 父は「預金や株式はあちこちにある」と言っていたので、私は父の資産をあぶり出すことから始めたのだが、初めの一歩で激しく出鼻をくじかれた。 まず出向いたのは父のメインバンクだ。父は銀行から貸金庫を借りていて、私も金庫の鍵を開けられるように手続きをしてくれていた。だから、金庫を開ければ通帳など、父の資産に関するものがすべてあると思い込んでいたのだ。 ところが金庫の中に入っていたのは、大学の卒業証書や思い出の写真といった資産とは無関係のものばかりで、唯一金目のものといえば、現在でも100円ほどの価値しかない第一回東京オリンピックの100円銀貨だけだった。 貸金庫事件のあと、私は高田馬場の実家にこもって、リビングに山積みになっていた郵送物の中から金融機関からのものを探し出す作業に取り組んだ。 父が脳出血になって以来、私が実家に定期的に行ってポストの中の郵送物を取り出すようになった。そうしないとポストが溢れ、空き巣の標的にされかねないからだ。 リビングに積まれていたのは、私がポストから取り出して投げ入れた郵送物の山だった。溜まった郵送物を一つひとつチェックしていくのは、気の遠くなるような作業だった。 こうして父の口座がある可能性のある金融機関を絞り込み、銀行や証券会社などに連絡をして父の口座はないかと問い合わせていったのだが、ここからいよいよ本格的な相続地獄へと突入していく。 情報開示のためには、所定の手続き書類の提出に加えて、相続人全員の合意書と、父が生まれてから死ぬまでに戸籍を置いたすべての市役所の戸籍謄本が必要なのだ。なぜすべての戸籍謄本が必要なのかといえば、隠し子の存在を把握するためだという。「親父に限って隠し子なんてありえない」と言ったところで通用しない。 しかし自分が生まれる前に親がどこに住んでいて、あるいは小さな頃にどこからどこへ移り住んでいたかをきちんと把握している人がどれほどいるだろうか。 父は佐賀県の出身だったのだが、私が佐賀の役所に出向くのは難しいし、旅費もかかる。そこで父が過去に戸籍を置いていた自治体に電話をかけた。 すると「郵便小為替と返信用封筒を同封して、役所に申請書を提出してください」と言う。 しかも全国統一のフォーマットはないので、父が暮らしていたと思われる自治体に一つずつ申請方法を問い合わせ、いちいち別の文書を作成しなければいけないという不合理を強いられた。 さらに言えば、当時は郵送でのやりとりという方法しかなく、役所から返信が届くまでに早くても1週間はかかる。作業は遅々として進まなかった。