「硬くてデカイ大きな岩でした」54歳で逝去した曙さんと貴乃花の「伝説の猛稽古」「引退後の絆」
「目から汗がよく出るのが、本当の稽古だから」
国技・大相撲で初の外国人横綱になった曙太郎さん(本名 チャド・ジョージ・ハヘオ・ローウェン)が今月上旬、心不全で亡くなり、14日に葬儀が行われた。54歳という若さだった。 【貴重】すごい!部屋の祝勝会でダンサーと踊る陽気な若き頃の曙関…! ハワイ・オアフ島で生まれ、一家の家計を支えるために18歳で来日。’88年に元関脇・高見山の東関部屋に入門した。同期には若貴兄弟や浅香山親方(元大関・魁皇)ら「花の六三組(昭和63年3月場所初土俵)」と言われた錚々たるメンバーばかり。日本中が熱狂した空前の相撲ブームの立役者の一人で、身長2m以上、体重は一番重い時で233kgという巨体を生かして、日本人力士を立ち合いから一方的にネジ伏せる「電車道」の取り口が相撲ファンに強烈な印象を残した。当時の相撲担当記者はこう明かす。 「現役時代は、自分ではなく、若貴兄弟に殺到する報道陣を見ながら、『どうせ、相撲記者なんて、全員、『若貴』の応援団だろ?』と冗談半分でぼやいていましたが、曙はある意味、自分の置かれている立場をわかった上で、“悪役”を演じていた一面もあった。同期の力士で貴乃花さんだけは曙を『別格』として常に意識をしていて、ともに横綱をはった2人は単なるライバルを超えた厚い友情で結ばれていた。2人は曙さんの引退後にようやく本音で話し合える、いい意味の戦友になっていたと思います」 2人は、関取になる前に知られざる「伝説の猛稽古」をしていたという。前出の記者が振り返る。 「曙さんは貴乃花さんが所属する藤島部屋に出稽古にきた。2人は1時間以上、それこそ決闘のような稽古を続けていました。あり得ない激しさだった。2人とも血だらけになりながらね。当時あった相撲部屋でNo.1の猛稽古を課し、貴乃花さんの父親でもある親方(元大関・貴ノ花、故人)ですら、たまらず止めに入っていました。今、あの2人がやっていた稽古をする力士なんていませんし、できませんよ」 本場所後に全国を回る「巡業」でも2人は常に切磋琢磨の繰り返しだった。当時から毎年夏の巡業は東北と北海道を回っていたが、力士にとっては暑さが堪えた。巡業に取材にいったことのある夕刊紙記者はこう明かす。 「曙さんは『巡業は本場所でケガをしない体作りの場』という思いで稽古をしていましたが、それは貴乃花さんも同じだったんです。朝8時から始まる全体稽古の前に室内練習場の鍵を閉めて曙さんや貴乃花さんは稽古をしていました。ある時、まだ関取になっていなかった同期の元大関・魁皇の浅香山親方(当時の四股名・古賀)に稽古をつけていた。室内には入れませんでしたが、喋る声など一切聞こえない。体がぶつかり合う音しか聞こえなかった。すごい世界だと思いました」 外国出身の力士は相撲の独特な稽古に必ず戸惑う。腰痛の防止や自律神経のバランスや免疫力向上の効果があるとされる「股割」、稽古で勝った力士が相手を選ぶ「申し合い」、首を押さえつけられながらすり足で転がされる「ぶつかり稽古」など、日本人力士でも耐えきれなくて部屋から逃げ出すこともある。曙さんは違った。所属する東関部屋でも、日々厳しい稽古をこなしていた。現役時代に曙さんが残した名言の一つにこんな台詞があった。 「目から汗がよく出るのが、本当の稽古だから」――。 つまり涙が出るほどの厳しさに耐えた、ということだが、曙さんがそれをできたのは「誰にも負けたくない」という思いがあったからだった。貴乃花さんは現役時代の曙さんをこう評したことがある。 「とにかく大きな岩でした。硬くてデカい。それでも筋肉はしなやかで柔軟な体をしていた」