「硬くてデカイ大きな岩でした」54歳で逝去した曙さんと貴乃花の「伝説の猛稽古」「引退後の絆」
引退後はカラオケにも行った仲だった
本場所のみならず、稽古場でも無数の格闘を繰り広げてきたことによって、貴乃花さんは引退後も、ある後遺症に悩まされた。真夏でも手袋やマフラーをするのは、その理由のひとつだ。前出の夕刊紙記者にこう明かしたことがあるという。 「大きな力士を相手に真正面からぶつかっていきましたから、首を痛めた。相撲をやめてから指先が冷たくなるんです」 初土俵以来、優勝決定戦を含めた両者の対戦成績は25勝25敗。両者一歩も引かないライバル心がそこに表れていたといっていいだろう。2人の現役時代は他の部屋の力士と雑談をすることさえ禁止されていたため、親しくなる雰囲気はなかったが、現役を引退すると、深いところで認め合っていた2人は徐々に接近する。 ’96年に曙さんは日本に帰化した。相撲協会に骨を埋める決意の証だ。にもかかわらず、’03年11月に、日本相撲協会を突然去った。それには多くの理由があったとされる。 「最大の理由は相撲部屋を運営していく上で必要な年寄株が手配できなかったことです。当時も年寄株を取得するには数億円かかると言われていました。それに、大相撲の本場所を米国など海外で開催すべきなど『国際化』を訴えていましたが、当時の執行部に全く相手にしてもらえなかった。現在の東関親方(元小結・高見盛)や故・潮丸(’19年逝去・享年41)を一人前の関取に育てましたし、弟子の育成にはとても定評があったのですごく惜しまれました」(相撲担当記者) 貴乃花さんも協会在職中、「これからは若い世代の人たちにもたくさん相撲を見にきてもらわなきゃいけない。そのためにはプロ野球やJリーグのようにナイターで開催したいと思っているんです」と話していた。2人のベクトルは「大相撲改革」へはっきり向かっていた。 2人は「花の六十三組」同期会などで公私共に顔を合わせる機会が増えていった。 「カラオケにも興じたそうで、曙さんは貴乃花があんなにおしゃべりで明るいなんて、とびっくりしていました」(相撲協会関係者) この時期、貴乃花さんは協会運営の持論を展開して理事選に出馬したり、協会執行部に対して異議を唱えたことが「貴の乱」と言われ、周囲が騒がしくなっていた時期だ。また、横綱・日馬富士が弟子の貴ノ岩に暴行したり、「張り手」や「かち上げ」に似た「エルボー」を見舞いながら優勝回数を重ねる当時の元横綱・白鵬を「相撲は相手を傷つけるためにとるわけではない」と公然と批判した。 「ハワイからやってきた力士たちは絶対しなかったことばかりだ。彼らは師匠の教えにそってしっかり相撲道に邁進していたから」 そう明かした貴乃花さんの視線の先には曙や武蔵丸、さらに先輩の小錦、高見山といった力士の存在が見えていたはずだ。本来の「相撲道」を守ろうとして発言すればするほど追い込まれていく貴乃花さんに「いつでも、何があっても応援している」と曙さんは常にエールを送っていた。’17年4月に曙さんが倒れ、その翌年9月に貴乃花さんは協会に退職届を出した。「相撲愛」でも競っていた2人が相撲協会に“寄り切られて”しまった。もし『曙太郎』が相撲界に残っていたら、最近の宮城野親方の騒動について、どんなコメントを残しただろうか。
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