追悼。ミスター中日、高木守道氏は「10・8決戦」2か月前”ウザイ記者”に言った「3年優勝できなかった俺から辞める」
高木さんは、メジャーリーグに精通したアイデアマンだった。ノーラン・ライアンを指導したことで知られるトム・ハウスの理論に心酔してキャンプに臨時コーチとして呼んだ。肩、肘に負担をかけない、マウンドの傾斜と体重移動を重要視するメカニックを取り入れようとした。1990年代に今の時代の野球を先んじて行っていた。 メジャーで始まり、日ハムや横浜DeNAも採用した「オープナー」を最初にやったのも高木さんだった。1992年10月9日の対阪神戦。亀新フィーバーに乗ってヤクルトと優勝争いをしていた故・中村勝広監督率いる阪神が、中日に勝てば、優勝に逆王手をかけるという大一番。優勝と関係なかった中日がキャスティングボードを握っていたが、そこで高木さんは、先発に鹿島を立てて各投手を2、3イニングづつで投手を代えるという「オープナー」をやったのだ。目先をコロコロと変えられた阪神打線は、沈黙して敗戦、甲子園に移動してヤクルトとの直接対決に敗れ優勝を逃した。 4番として期待した故・大豊に1本足打法を身につけさせて独り立ちさせようと名球会の人脈を生かして張本勲氏を臨時コーチとして招聘した。広岡達朗氏にも、何かあれば相談し「気」をチームに与えるため合気道の先生に講演をしてもらったこともある。自らも精神を集中するため、岐阜の名工の元を訪れて日本刀を手にいれ、自宅で、それを手に取って「無心」となる時間を作った。現役時代の落合博満氏に打撃コーチ役をやらせたのも高木さんだった。 生意気な質問をして怒らせもした。喜ばしくない記事も書いた。新宿の焼き鳥や、名古屋・新栄のふぐの握り寿司……一滴も酒を飲まない高木さんに何度も美食をご馳走にもなった。愚痴も聞いた。実はユーモアに富んだ人でもあった。ゴルフが好きだった。そして何より野球を愛していた。きっと高木さんは僕のことを“うざい記者“だと思っていたに違いない。でも、僕は、この実直な人が好きだった。 訃報を聞いたとき、灼熱の豪州キャンプで、高木さんとトスバッティングをさせてもらったことを真っ先に思い出した。 正確にワンバウンド、ツーバウンドで、体の左前にボールが返ってきた。こちらのコントロールが乱れ、とんでもないところにボールがいっても、そこに打ち返す。攻守交替すると「バックトス」を生み出した名手は、どこへ打ってもひょいひょいと一歩も動かず打球をさばいた。さよなら、守道さん……安らかに永眠を。 (文責・本郷陽一/論スポ、スポーツタイムズ通信社)