追悼。ミスター中日、高木守道氏は「10・8決戦」2か月前”ウザイ記者”に言った「3年優勝できなかった俺から辞める」
「おまえ、守道さんにあれだけ世話になっていて、よくも、あんな記事を書けたな」 高木さんと信頼の2文字で結ばれていた谷木さんは第二の人生としてスタートさせていた北海道・札幌のおでん屋を辞めて、この年から高木さんの元へ馳せ参じていた。最後まであきらめない。そんな気持ちで戦っている最中の解任記事は許せなかったのだろう。 この暴行未遂事件はチーム内で騒動となり高木さんの耳にも入った。そこから数日間、高木さんとは話がしづらく1対1では会わなかったが、遠征から名古屋に戻ってから高木さんの自宅に朝駆けをした。「瞬間湯沸かし器」とも呼ばれ、かっとする一面を持った人でもある。敗戦後、結果論で采配をつつく質問をして、「君は、僕をなめんとのか?」と凄まれたこともある。 それ相応の剣幕でこられることを覚悟していたが、ニヤっと笑った高木さんは、僕を愛車に招き入れた。ナゴヤ球場までのドライブである。 無口な人だった。自分からは、ほとんど口を開かない。 でも、このときは、「で?何が聞きたい?」と切り出してきた。 「谷木さんに怒られました。チームをバラバラにしてしまうような記事を書きました。申し訳なく思いますが、僕は新聞記者です。3年前に星野監督退任を書けずに失敗もしています。もう一回同じミスをしたらアホです。事実をつかんだので書かないわけにはいきませんでした」 助手席から、そう語りかけると高木さんは、ハンドルを持ちながら前を向いたままで優しい目をした。 「谷木らしいな。俺は何も怒っていない。君は取材をして確証があるから書いたんだろう。記事に対して何の文句もない。まだ何も聞かされていないが、フロントの考えは、おそらく、そうなんだろうな。でも、まだ8月だぞ。君の記事よりも、もう勝負をあきらめているフロントに腹は立つわな。球団から言われるまでもなく3年も優勝できなかった俺から辞める」 8月末に高木さんは、当時の球団社長から今季限りで契約をしない旨を通告され、正式に退任が表ざたになった。だが、「有終の美を飾る」と開き直ってからの中日は強かった。 9月18日から怒涛の9連勝。逆に長嶋巨人が失速。運命のいたずらか、台風の影響で巨人戦が中止となり10月8日に充てられることになり、あの10・8決戦となったのである。 10月8日付の中日スポーツは、一面で「高木続投」と打った。次期監督として内定していた星野氏が監督受諾辞退を表明した後にも、10・8決戦の前日まで「優勝して辞める」と頑固なまでに信念を貫いていた高木さんへの加藤オーナーからのメッセージだった。 結局、高木さんは、その数日後のオーナー報告の際に、直接説得され、翻意することになるが、選手会からの続投要請もあり、その声に応えた”男気”だった。