安藤優子×浜田敬子×星薫子が語る「子持ち様」問題。分断が誰をも苦しめる
イスラムの女性たちにどう共感する?
浜田敬子(以下、浜田)「私はこの本を読んで、どの視点からイラン女性に共感したらいいのか悩みました。私たちはいちおう『人権が保障されている民主主義国家』の人間で、この安全圏から何をいっても違うような気がしてしまうんですよね。その国の宗教や伝統をどこまで考慮すべきなのか、欧米社会が主張する『人権』という概念もダブルスタンダートな局面が目立つ今、難しいなと感じるのですがお二人はどうですか?」 星薫子(以下、星):「普段、中東関連のニュースで耳にすることだけでは情報が少なくて。この本を翻訳するにあたってコーランを少し調べてみたんですね。コーランには、男女ともに視線を低くして礼節を守りなさい、加えて女性はベールを胸の前に垂れなさいという1文がありました。コーランでは女性はこうしなさい、男性はこうしなさいと分かれているものがけっこうあります。ただそれは今から1400年ほど前ムハンマドが生きていた7世紀の話です。時代によって解釈は変わってきています。 実際、1930年代のイランではヒジャブの着用を禁じる法律ができて、50年代以降は女性のヘアスタイルや化粧が西洋化されていった時期があったようです。その一方で都市部と農村部の格差が開き、民衆の不満が溜まってイラン・イスラム革命につながってもいます。歴史や背景を知れば知るほど、アメリカ的民主主義の立場で『ヒジャブを強制するなんて野蛮な国だ』などといってしまうと、暮らしている人の感覚とはかけ離れてしまう気がします」 安藤:「『イスラム教徒=イスラム原理主義(イスラム教の経典コーランに忠実であろうとする考え方)=テロリスト』といった方程式が911以降、定着していますよね。このようにイスラムが世界の暴力の起爆剤のような形で語られる背景には、被害者としてのアメリカの視点があります。 ですが、政治形態としてアメリカ民主主義がパーフェクトではなく、ベターかもしれないくらいの形態だということは誰の目にもあきらかなんですよ。『イスラムvs民主主義』と言う対立構造は作られたもので、意図的に扇動され対立するように仕向けられている気がします。この対立構造によって分断が進めば、イスラムの女性たちはイスラム教徒である、あるいはヒジャブを身につけているというだけで、世界の女性たちの人権意識のなかから排除されたり差別されることにつながりかねません」 星:「ナルゲスさんは、そういった分断をできるかぎりなくしたい、どのような人々とも連帯したいと言っていますね。彼女は、ヒジャブをかぶっているときでも少しだけ髪の毛を出して見せたり、本のカバーに載せてあるポートレートはヒジャブなしのカーリーヘアで写ったりと自身の価値観を行動で示しています。ただ、それは彼女の主張であって、人に強要することはありません。とはいえ、みんな好きな格好ができるといいよね、といった感覚とも言い切れない。イスラム教は勉強すればするほど難しさを感じます」