【高校野球】30歳山田祐揮監督の「覚悟」 なぜ熊本国府は九州大会を制する快進撃を見せたのか
甲子園常連校を撃破
2023年秋。「私を信じて来てくれた子どもたち。ある程度、形をつくらないといけないと思っていた」。21年4月から熊本国府高を率いる山田祐揮監督は勝負のシーズンと位置付けていた。生徒たちにも強い自覚があった。 今年7月末の新チーム時、1年夏からレギュラーの主将・野田希(新3年)はチームの目標を「甲子園ベスト4」と設定した。旧チームは「甲子園出場」。さらに目線を上げないと、夢舞台には届かないと感じたからだ。 熊本国府高は県大会を制すと、創部18年目にして、九州大会で初の頂点に立った。同校は1941年、熊本女子商業学校として創立され、戦後の48年に熊本女子商業高等学校、94年に現校名に改称され、95年に男女共学となった。学校法人泉心学園が運営する私学である。野球部が創部されたのは、2006年。学校からバス移動で約40分の野球部の専用グラウンドで練習を積んでいる。 部員61人全員が熊本県出身で、ベンチ入り20人のうち、中学時代の硬式野球経験者は1人。九州大会では準決勝で23年夏の甲子園4強・神村学園高(鹿児島1位)、決勝では21年春のセンバツ準優勝校・明豊高(大分1位)と甲子園常連校を撃破した。目立った選手はいないチームがなぜ、快進撃を遂げたのか。 30歳・山田監督の「覚悟」に集約される。 県内の名門・熊本工高では控えの外野手(背番号17)として、2年夏(2009年)の甲子園に出場した。新チームでは主将。中心選手の多くが残るも、2年秋は県大会3回戦敗退。危機感が芽生えた冬場以降「春から圧倒する」と誓ったチームは県大会、RKK旗、NHK旗で優勝。史上初と言われた「4冠」を目指した夏だったが、県大会準決勝で敗退した。 「甲子園に対して、悔いしか残っていない」 苦い思い出が、脳裏にこびりついている。2年夏の甲子園1回戦(対三重高)、先発出場していた先輩の守りのミスにより、山田監督は初回から左翼で途中出場した。「試合前ノックは中堅に入り、キャッチボールもしていなかった。明らかな準備不足でした」。致命的な守りのミスを犯し「自分のせいで負けたようなもの」と、初戦敗退の責任のすべてを負った。 「指導者で行くしか、借りは返せない」