加害者の今を知ってしまった…「娘の未来は絶たれたのに」中2いじめ、遺族の憤りと煩悶 学校推薦で高校進学、実業団選手に。謝罪はないまま
2016年9月、兵庫県加古川市立中の2年生だった当時14歳の女子生徒が同級生らからのいじめを苦に自死した。7年後、両親は娘の死と向き合い続ける日々の中で、加害生徒の1人が実業団スポーツ選手として活躍していることを知ってしまった。「娘の未来は絶たれてしまっているのに、なぜ…?」。もう会うこともできない娘とのあまりの“落差”に、抑えきれないほどの憤りと悔しさが再燃した。 【画像】「自殺予定日」「死んでもいいかな」 中2いじめ、女子生徒のカレンダーやスケジュール帳に残された言葉
事件後、加害生徒から直接謝罪の言葉はなく、いじめを本人らが認めたかどうかもはっきりしないままだった。両親は当時から生徒らへの厳しい指導を学校や市教育委員会に求めてきたが、学校側はその裏で加害生徒たちの一部を学校推薦で希望の高校に進学させていた。遺族に情報が開示されていないため定かではないが、同級生らの証言によると、後に実業団選手となった生徒もいるとみられる。父親は信じられない思いで、こう疑問を投げかける。「遺族をバカにしている。こんなことが許されていいのか」―(共同通信=木村直登、岩崎真夕) ▽認定された12人の加害者 両親は学校が適切な対応を怠ったとして、加古川市に対し損害賠償を求めて提訴し、現在も係争中だ。2023年9月、陳述書を作成するため過去の資料を精査していた時、母親はふと気になって、加害生徒のうち1人の名前をインターネットで検索してみた。ヒットしたのは、とある実業団の選手の紹介ページ。名前、出身地、出身校、そして顔写真…。間違いない。あの生徒だ。いじめ自殺があった1年半後、強豪高校に進学し、その後もスポーツ選手として着実にキャリアを積んでいた。現在は退団している。
いじめの内容と自死の因果関係を調べた第三者委員会が報告書をまとめたのは、加害生徒が中3だった2017年12月。高校への進路を決めるタイミングだった。 報告書によると、いじめの始まりは小5の時にさかのぼる。本人の嫌がるあだ名が付けられ、無視が始まった。15年に中学校に入学後も複数の生徒から頻繁にからかわれた。いじめが深刻化したのは中1の3学期。「スクールカースト」の上位にいたクラスメートらが容姿をやゆするような名前のLINEグループを作成。影響を受けたクラス全体から明らかに孤立するようになった。報告書で「いじめた側」と特定された数は12人に上る。 16年2月には「ミジンコ以下 死ねばいいのに」などと書かれた作成者不明の紙を渡された。中2になっても状況は改善せず、夏休み明けの16年9月、登校途中に自死を図り、1週間後に亡くなった。自室の机の上にはメモが残されていた。 「どうして世の中こんなになってるの?クヤシイ…イタイ…シニタイ…」